中野重治と鴎外の遺言状

 平川先生の『和魂洋才の系譜』に、鴎外の遺言状についての論があって、それが、鴎外を批判した中野重治への批判になっていて、中野が反論してきた。平川先生はそれに反論して、それを増補版に載せている。
 そのことは知っていたのだが、実は私は中野の最初の論というのを読んでいなかった。だいたい私は鴎外に対して興味がないのである。しかし今般、『鴎外その側面』に載っている「遺言状のこと」を読んで、実に驚いた。これは多分、1944年つまり戦時下に書かれた「鴎外と遺言状」だと思うのだが、それとも別にあるのだろうか。なんでびっくりしたかというと、何を言っているのか分からないからである。恐らくこれも、花田清輝のあれみたいに、戦時下なので遠慮して書いたからこうなったのだろうが、それなら戦後書き直せば良かろうと思うのだが、それもどこかにあるのかもしれない。
 中野は、鴎外に矛盾があるとか、豊臣秀吉の遺言とかを持ち出して比較するのだが、鴎外は文学で復讐したとか、遺言では王者としてふるまっていないとか、中野重治が書いたのでなければ、キチガイが書いたのではないかと思えるほどに意味不明である。こんなもの相手に論争していたのか、と感慨深かった。