私は素朴実在論者である

 言語構築主義などというトンデモな代物があることを思えば、私は「素朴実在論」でいい。なるほど私も若くて愚かだった30歳頃には、素朴実在論なるものを馬鹿にしていたこともあったが、あれは単にものごとを深く考えていると思いこみたいインテリ病みたいなものである。
kokada jnetさんに教えられて、高島俊男お言葉ですが…別巻2』に載っている「宋江実録」を読んだ。東大東洋文化研究所紀要に載ったれっきとした学術論文である。1993年のものだが、知らなかった。歴史上の宋江の実像を探ったものだが、それについては宮崎市定の『水滸伝』が中公新書で出てのち文庫にもなっていて、宋江は二人いたという説を説いている。しかし高島は、宮崎の考証のおかしいところを突き、いくつかの史料については、『水滸伝』の宋江を知って後から竄入されたものとする。
 では宋江はいかなる人物だったのか。それはまったく分からない。ただ史料の切れ端があるだけである。そしてこれこそ、意味づけから免れた歴史記述の、あるべき姿なのである。

                                                                                • -

吉田修一『悪人』文庫版上巻28pに「葉々」とあるが、これは何と読むのだろう…。「葉群」とでもありたいところ、これが芥川賞作家の語彙力である。

                                                                                • -

平川先生から、群馬高等高専の横山孝一という人が私の平川先生批判に反論した文章を送ってきたが、私のことを良く知らない人らしい。これから手紙を書いて出す。
http://www.gunma-ct.ac.jp/gakka/09-06-08.htm←この人だね。