見なきゃいいのについ魔がさして図書館で読売新聞を見たら川上未映子が島田雅彦の『悪貨』を絶賛していて、その冒頭に、ここで紹介する本が面白いのは当然なのだけれど、とあって、ああ新聞書評というのは褒め書評なのだということを当然の所与とする世代が遂に現れたのだなあと感慨をもった。
確か25年くらい前だが丸谷才一が、日本の書評はどうもいかんと言っていて、書評とはどういうものかとどこかの新聞に尋ねたら、読者に良書を紹介し、とあったので、これぢやあダメなはずだ、と言っていて、しかしその後丸谷自身が毎日新聞を舞台としての仲間褒め書評のオーガナイザーになってしまったのだが…。
しかし川上は四月にも阿部和重の本を、息もつかせず一気に読んだ、と絶賛していて、この人にかかると、日本では半年に二冊くらい、バルザック級の傑作が出ることになってしまうのだが、文壇遊泳術なのか、藝能人だからプロモーションのお手伝い感覚で書いているのか。
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「夢であいましょう」のDVDを観ていて驚いたのだが、落語を知らないと何が何だか分からないだろうというネタが続いていて、当時の視聴者の落語リテラシーは高かったんだなあと思った。あと永六輔が三島由紀夫と間違われたというのに納得。永六輔は、この時代の視聴者の教養が失われて行くのに応じて、テレビに見切りをつけ、その後も「二×三が六輔」などで再挑戦して、私なんかは面白がって観ていたのだが、視聴者の落語的(その他)教養の低下のため成功しなかった、ということか。