週明け発売の『中央公論』6月号に筑摩書房の松田哲夫による井上ひさしの追悼文が載っているが、これを読んで井上の傲慢ぶりにまったく呆れた。
1973年、筑摩の雑誌『終末から』に『吉里吉里人』の連載が始まったが、第一回目はぎりぎり、二回目は締め切りになってもできず、松田が催促の電話をして、こもごも話すうちに「困りましたねえ」と言ったら、井上が激怒して、「困るのは作家のほうだ。編集者は困っても周囲が助けてくれるがこっちは一人だ」(大意)と怒鳴り、松田が翌日もう一人の編集者と詫びに行ったら「いやこちらも言葉が過ぎました」と言ったというのだが、
まさにこれが本当の逆ギレ。
井上はその前年に直木賞をとったばかりだが、いったい自分を何さまだと思っているのだろう。「てっぺん野郎」は石原慎太郎ではなくて井上のほうではないのか。
いくら直木賞をとったって、平直木賞作家なら、そんなことを繰り返していれば干されてしまう。時間をかければいいものになるというなら、連載などせず、書きおろせばいいだけのことで、「ある八重子物語」が、水谷八重子(二代目・当時は良重)を舞台上で泣かせて、それでいいものになったかね。
松田は、井上の真摯さに打たれたと書いているが、これ要するに井上がいかに傲慢だったかの暴露話だよね。ね、松田さん。
(小谷野敦)