「金鶴泳」の読み方

 1985年に自殺した作家・金鶴泳を私は「きんかくえい」と読んできたが、先日、国会図書館で「キム・ハギョン」になっているのに気付いた。「直木賞のすべて」でもそうなっている。自殺した時の新聞記事は「きんかくえい」だった。いったいいつ変ったのかと思い、没後の『金鶴泳作品集成』(作品社)を見たら、奥付に「きんかくえい」とある。ところが国会図書館はこの題名に「キムハギョンサクヒンシュウセイ」とルビを振っている。書誌の作成において誤っているのでこれは問い合わせ中である。2010年にシングルカットから出た『土の哀しみ』も「きんかくえい」である。国会図書館の著者標目のデータを見ると、2005年に「きんかくえい」から「キムハギョン」に変えているが、これも何でか問い合わせ中である。怪しいのは2006年に出た『在日文学全集』の金鶴泳だが、これは現物を見ていない。何にせよ、こんなことは本人の意思が最優先であろう。きんかくえいが生前「キムハギョン」と名のりたかったというメモでも発見されたのであろうか。
(5日付記)国会図書館から返事。
「読みは、目録対象資料にある漢字の母国語読み表記を採用する。
目録対象資料に母国語読みがない場合は、漢字の日本語読みを採用し、
目録対象資料に同一人の母国語読み表記が出現した時点で、母国語読みに訂正する。」
 ということである。「出現した時点で」というところが、何とか「母国語」読みにしたいという国家的意図を感じる。つまり一点でも、母語読みにしたものが出たら、それっとばかりに変えるということで、そのあとで日本語読みのものが出てもそれは知らん、ということである。
 しかし『金鶴泳作品集成』のように、著作自体の読みまで変えてしまうのはおかしいだろうと、再度質問中である。
(付記2)「直木賞のすべて」は、私の指摘を受けて「きんかくえい」に戻した。