新機軸 

 手塚治虫の『マンガの描き方』(1977)に「新機軸を打ち出せ」という節がある。その最後に、弟子たちが「新機軸なんて、手塚先生や石森先生がやっちゃって、俺たちやることないよなあ」と言うのを聞いて手塚が「ばっきゃろー!」と怒鳴りつけ、「自分で努力もしないで、なんたることであろうか」などと書いてあった。昔読んだのを記憶で書いている。
 しかし、手塚もちらりと思っただろうが、弟子たちのぼやきはある程度正しいのであって、映画的手法とか、コールドオープンとか、「シーン」という擬音語とか、そのレベルの新機軸は、当時さすがにもう無理だったろう。その後も、むろん新機軸らしきものは出ているが、大枠は固定し、ないしは何かの亜流でしかありえまい。

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渡辺たおりが『祖父 谷崎潤一郎』を出したのは1980年、ここで谷崎と渡辺千萬子の往復書簡の一部が明らかにされたのだが、谷崎松子は衝撃を受けて、私が死んだあとなら何を書いてもいいと言ったが我慢できなくて出してしまったと言っていた。松子が死んだのはその11年後だったが、それでも88歳だった。いわんや、90代まで生きる人が「私が死んだら書いてもいい」などと言ったり、死ぬのを待っていたりしたら、それこそとうてい我慢できまい。 

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http://www.youtube.com/watch?v=3jSg846WV1I&NR=1
これけっこう好きなんだけど、途中で「いのちは一つ!」って叫んでいるが、これ「気持ちはひとつ」なんだが。私の聞き違い? 
(付記)「気持ち」は『懐かしの人形劇テーマ大全』のリーフレットに依ったのだが、「荷物」ではないかという意見があり、NHKに問い合わせたらやはり「荷物」だった。

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 似てない?
 (小谷野敦