谷崎潤一郎と井伊直弼

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 谷崎潤一郎は、松子と結婚してからは、大坂の陣では豊臣びいきだった。それは、松子が豊太閤びいきだったのと、谷崎の先祖が近江出身だと分かり、石田三成に共感していたからで、「春琴抄」の春琴と佐助の関係は、淀殿と三成を模したものであろう。

 しかし谷崎は、幕末の政治については、何も言っていない。東京人としては、徳川方に与したいところだろうし、弟子の舟橋聖一は「花の生涯」で井伊直弼を義人として描いており、谷崎存命中に大河ドラマにもなっているが、谷崎は何も言っていない。しかし、東京へ出る途中、彦根で井伊家の別邸だった八景亭に泊まったこともあるし、井伊直弼びいきだったのではないかと私は思っている。

 というのは、司馬遼太郎も、『醒めた炎』の村松剛も、直弼を旧習に固執する人だったと否定的に評しているからだが、日米修好通商条約は米国の軍事力を考えたら締結せざるを得なかったものであり、外国との条約締結に、そもそも天皇の許しを得る必要があるというのは、当時の水戸学者や尊王家の「発明」でしかない。そういえば谷崎が師と仰いだ永井荷風は、1861年に攘夷派に殺されたヒュースケンのことを気にしていた。