マサオ・ミヨシの、柄谷行人による追悼文が載っているというので図書館で昨日の朝日新聞を観てきた。
 するとちょうど隣に斎藤美奈子の文藝時評があったのでそれも読んでいたら、最後に池澤夏樹の『カデナ』がとりあげられていて、一見政治的な小説のように見えるが夢中で読んでしまう、「おもしろいに決まっているのだ。スパイ小説なんだから」とあった。
 は? 「スパイ小説」に「推理小説」や「SF小説」を代入したら、斎藤だっておかしいことに気づくだろう。つまり「あらゆるスパイ小説は面白い」という、ものすごいことを斎藤は言っているのだ。まさに「ああ勘違い」であり、思い込みである。阿呆らし屋の鐘が鳴るのである。
 しかし、「スパイ小説は面白い」という思い込みが成り立つということは、面白い。私はグレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』も、コンラッドの『密偵』も、ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』も面白くなかった。(書きかけ)
 …と書きかけにしていたら千野帽子さんが私の「小説」を引き合いに出しての論。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091124/210472/?P=1
 なるほど、斎藤美奈子もまた「スパイ小説こそ面白い(純文学はつまらない)」という「負の教養主義」にいくらか取り込まれているのかもしれない、って千野さんにまとめてもらってどうするんだ、俺。

                                                                                    • -

天皇候補として旧宮家を復活させるとしても、600年も前に天皇とつながっているだけだ、と小林よしのりが書いている。要するに伏見宮家系のことだが、これは私も前に気になって調べたのだが、そんなことになったのは、徳川時代に、皇統の争いが起きるのを懸念でもしたのか、男子を片っ端から出家させるようなことをしたためである。
 旧宮家でなくても、西園寺公望天皇の男系の子孫で、公望には男系の子孫はないが、その一族の徳大寺公英などというのは天皇の男系子孫ではないのか。それにいったい、女性天皇をたてるにしても、いったいその婿をどこから選ぶのか。やはり旧華族とかから選ぶのか、それとも人柄さえ良ければいいのか。ヨーロッパには貴族が今でもいるが日本にはいない。むろんある程度英邁でなければなるまいが、そのような人が、困難の予想される日本で初めての女帝の婿などというものになるだろうか。