http://megalopolitan.jimdo.com/review/volume-iv-1/
大杉重男氏が書評を書いてくれた。さて、川端が秋声を評価したについては、女婿の寺崎浩、息子の雅彦と交友があったからだろうと、実ははじめ書いておいた。だが、実はこの本は、最終校正の段階でかなり川端の悪口を削っており、その時に削られたのである。
さて、川端の醜貌意識に私が共感しているというのは当たっていなくて、というのは私は川端が好きになるようなタイプの女(伊藤初代のような)が嫌いだからである。近松秋江の伝記はなるほど書きたいと思ってはいるのだが、秋江は、「黒髪」連作、「別れたる妻に送る手紙」連作を書いたあと、そういうものを書くのをやめてしまう。それからあとの秋江は、作品も人生も大して面白くないので、どうしたものかなあと思っている。
あとまあ、私が喧嘩をすることで関わりたがるといえば、半面では私は学究的に、誰とも争わず地味な研究をするという性ではなく、仮に大学の教授であっても黙ってはいられなかったろう、という点ではそうなのだが、むしろ文藝雑誌というのが、ちょうど大杉氏が書かなくなったころから、論争的なものをほとんど載せなくなり、変質したということがあって、すが秀実、渡部直己、斎藤美奈子、福田和也といった論争的な人たちが排除ないし半排除されたその一環にあるというだけのことだろう、とは思う。
(小谷野敦)
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1976年のエティオピア革命についてのいい日本語の本がない。以前、『獅子は斃された』というのを買ったが、これは革命を背景にした恋愛小説だったので売った。で、伊藤正孝の『アフリカふたつの革命』(1983)を読んでいる(なんだか筒井康隆の短編集みたいな題名だ)。前半は、今では独立してしまったエリトリアを描いたもので、後半がエティオピア革命なのだが、皇帝をどう扱うかということで、伊藤は日本の天皇を参考にしたいからと言われて明治憲法や日本国憲法を資料として見せたが、「君臨すれども統治せず」という天皇制の原理が、英語では君臨(reign)は統治(rule)の意味もあるのでうまく通じなかったと書いてある。
「君臨すれども統治せず」は、天皇制ではなくて英国王制についてよく言われる、西洋の原理である。統治はgovern である。なんだか読んでいて、不安になってくる本で、伊藤は物故者で、朝日新聞記者だったが、著者略歴を見ると、出身大学が書いてない。これも不安を引き起こす。どうも早大らしいのだが、山崎拓と親しく、山崎が商学部にいたので商学部に移った、という。これも不安を引き起こす。