古い記録を見ていて、大学一年の頃、ブライアン・オールディスの『手で育てられた少年』というのを読んだことを思い出した。この題名は要するにオナニーのことで、しかし別に面白くはなかった。確か『幻想文学』で書評されていたので読んだのだろう。
SFと私小説というと対極にあるように見えて、存外そうでもない、新井素子なんかもろに私小説を書くし、吾妻ひでおもそうだし、「ソラリス」なんて一種の私小説、とか書こうとしたのだが、別にそれを言ったら大衆作家がふと私小説を書くというのはよくあることだし、いま挙げた例はあまりに恣意的かつ少ないし、どうせ究極のアウタースペースとインナースペースが一致するとかそういう話になるのは見え見えだし、バカバカしいので書くのをやめた。これは捨てネタである。
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『小説トリッパー』で小沢自然が小野正嗣の小説を書評しているんだが、それって明らかに仲間褒めじゃないか。小沢よ、そういうことやってると君も平川祐弘みたいになってしまうんだぞ。
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妻が「アフガン零年」という映画を借りてきたので観たがやや不自然だと思った。私が見ていなかったのはキネ旬ベストテンに入っていなかったからで、よく考えたら2003年という時期に、タリバーンの悪を追及するような映画を日本の左翼知識人が歓迎するわけがなく、「華氏911」より下位だった。それで妻は、でも米国批判は盛んだったけれど、タリバーンはそれより悪い、ってことだったと思う、と言うから、いやそうじゃない、あの当時は下手をするとブッシュのほうがビンラディンやフセインより悪いかのように言う人がたくさんいた、と言った。
思うに、そういう「反米左翼」は全共闘世代中心で、若い人の間ではそうでもなかったのかもしれない。
しかし「アフガン零年」が欺瞞的だと思ったのは、あたかもタリバーンが女性差別的であるかのように描いていること(特におばあちゃんの台詞)で、そうではなくて、イスラーム自体が女性差別的なのである。
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いつごろからか、私が中学生の頃からのような気がするのだが、平手打ちすることを「殴る」というようになったのだ。あれは違和感がある。平手打ちは「ひっぱたく」であろう。