売れるということ

 なんで河出書房を集英社だと思い込んだのであろう。考えてみたら集英社は「ギャラリー」である。以前にも、河出書房のものを講談社と勘違いして手紙を出したことがある。どうやら私には、河出書房はいい企画しかしない、良心的な出版社だという思い込みがあるようだ。

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 これは厄介なことになってきた。何がって大仏次郎賞である。井上章一さんかなあと思っていたら小熊が出てきた。一般にあれは評論一点、小説一点で、過去に評論二点という例もあるがこれは例外だ。そこへ渡辺保さんも加わった。山折は井上さんを推すだろう。井上ひさしは小熊を推すのかな。両方落選、というのがありそうだな。小説のほうは…。

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変な見栄やプライドを捨てて、売れる本を書く、ということを考えたが、もしそんなことが可能ならほかの人がやっている。
 海外でベストセラーになったものを訳せば、というのは誰しも考えることだが、ハーマン・ウォークの『マージョリーモーニングスター』は大久保康雄が訳して売れなかった。第一、売れそうな洋書翻訳というのは、もはや利権になっていて、バベル翻訳学院とか、柴田元幸とか、その辺できちきち押さえられているに決まっている。『ハリー・ポッター』は、大手が押さえなかった例外的なものである。何しろ人気監督が映画化する『エンジェル』を訳したら映画がこけて全然売れなかったという前歴があるし。 

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英文科の同期に、川野俊彦という男がいた。特に親しくはなかったが、何やら女にもてそうなタイプだった。卒業後、集英社に入り、コバルトの担当をしていると聞いていた。ふと思い出してググったら、昨年12月に死んでいたことを知り驚いた。
http://ameblo.jp/wakagimio/entry-10180449598.html
 死因は分からないが…。

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1992年3月『群像』に山下悦子は「『父』になれない男たち」を書き、青野聰の『母よ』を論じ、谷崎の「母を恋ふる記」が素直に母恋いを表明しているのに対し、青野のそれは屈折している、と書いた。
 翌月号の匿名時評「侃侃諤諤」は直ちにこれをとらえて、谷崎のもかなり屈折しているのに、山下はなぜこう書いたのか、とテスト形式で「一、学校でそう習ったから。二、功名心に駆られたから、三…」という具合にやったが、私は、これは正答なし、「忙しくて現物を読まず、題名だけで勝手にそう判断したから」だと思う。 
 栗原さんがツイッターで、匿名時評がつまらなくなった理由を構造的なものに求めているが、なに単に編集者が腰抜けになっただけで、昔は『群像』に載った評論でもこれだけ意地悪くやっつけていたのだ。