人の童貞を笑うな

 『文學界』五月号の、村上春樹騎士団長殺し』(私は読んでない)を論じた山崎ナオコーラの文章に、こんなパラグラフがある。

(ところで、村上作品を嫌う人の中に、「セックスシーンが多過ぎる」「主人公がこんなにモテるわけがない。リアリティがない」と批判をする人がいる。私はこういった批判に反駁したい。そもそも、村上は現実ではあり得ないことばかりを描いている。それなのに、なぜ、セックスシーンにだけリアリティを求めるのか。こういった批判をヒステリックに行っている人たちは、もしも、作中に「モテないので、四十歳までセックスをしたことがなかった」という男ばかりが出てきても、「どんなにブサイクでも、大概の人にそういう機会は訪れてしまうものだ。リアリティがない」ときちんと怒るのだろうか。女性キャラクターがセックスしまくっていても、「こんなにモテるわけがない」としっかりと憤るのだろうか。おそらく、しないだろう。「主人公の男がモテ過ぎる」と言いたいだけなのだ。主人公と作者を混同して読む浅い読書しかできていないことを露呈してしまっている。作者がモテているかのように読むことしかできないから、嫉妬で批判するしかないのに違いない)。

こういうことを書く時は、誰がそういう批判をしているのか具体的に名をあげるべきである。少なくとも私ではない。私は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の最初のほうに出てくる「太った女」が、やたらとフェラチオをしたがり、精液を呑みたがることについて、こんなことがあるか、とは書いた。のち、春樹は精神を病んでいてニンフォマニアの女とつきあったことがあるのだろう、と考えるに至った。まあ、春樹作品の男がやたらセックスをする点について、共感できない、とは言ったが、リアリティがないなどとは言っていない。どこかで言っている人はいるかもしれないが。
 「村上は現実ではあり得ないことばかりを描いている」ということもない。『風の歌を聞け』『ノルウェイの森』『国境の南、太陽の西』などは普通にリアリズムである。
 四十歳で童貞の男はいくらでもいる。以前、「30歳で童貞なんてトキみたいなイメージ」という井上章一さんの言に対して、調べてみたら概算三十七万人くらいいた。この手の調査は35歳までしか行われないが、四十歳で童貞も日本に十万人くらいいるだろう。
小谷野敦