新田次郎『八甲田山死の彷徨』の新潮文庫版の山本健吉の解説が、高橋誠一郎の「明治というとよい時代のように言う人がいるが私の印象では暗い時代だった」という言を引いて同意していて、私ははたと膝を打った。
私もそう思う。テレビドラマなどは、中産階級以上の明るい面を強調しすぎている。これは明治に限らずそれ以後でもそうだ。
それでふと思ったのは石光真清の手記で、私はあれがそんなに面白いとは思えない。文章だって息子が直しているし。「近代の暗部」とかいうのだが、近代を明るいと思っていなければ「暗部」も何もなくて、あんなもんでしょうと。
じゃあお江戸が良かったかと言えばとんでもない。要するに「いい時代」なんて存在しないのである。
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ほぼ毎週恒例の東浩紀批判です。
『週刊朝日』今週号で東は、今年から熊野大学を若い連中でやることにしたと書いている。東、市川真人、中上紀が中心になってやったがつまらなかった。これは最近の作家がみなひきこもりになっているからだ、と書いている。
冗談じゃないぜ。市川真人が加わったらそりゃ、
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20090124
「“ワセブンとユリイカは結託して東浩紀―宇野常寛ラインを持ち上げてくよ、でもって市川真人(aka前田塁)がウラで糸引くよ”宣言お披露目大会みたいなもの」
が熊野大学を乗っ取ったということであって、徒党を組んで排除しておいて「ひきこもり」たあ何ごとであろうか。まるで説教強盗である。
さるにても若い文藝評論家が育っていないのは歴然たる事実で、これは別段外国でも事情は同じ、みなそんなものより大学での出世を重んじ始めたわけだが、私より上なら斎藤美奈子、坪内祐三、福田和也、富岡幸一郎といるが、下となると、安藤礼二と田中和生くらいで、大杉重男は大学の先生になってしまったし、一冊の著書も出さずにいるのもいる。
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mixiの、友達による紹介文を見ていると「すごい人」というのがやたら多い。はじめは本気にしていたが、この様子では日本中に二千万人くらい「すごい人」がいるようだ。
Xさん、昔教えてもらった『幽霊と未亡人』面白かったです。最後は不覚にも涙が出ました。あの中で編集者が「イギリスでは2000万人の女性が小説を書いている」とか言っていたがそれはないだろう。1947年。
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平岡敏夫先生の新しい詩集『蒼空』に「気象予報士」というのが入っている。
樋口一葉の恋人と同じ苗字だからと見ていたら、
七時二十八分、現われて、的確に予報して、
礼をして、小首をちょっと傾げて消えるさまが実にいい。
七時二十八分の恋人などとファンが多いそうだ。 <<
(小谷野敦)