雉も鳴かずば

 『週刊朝日』と『文學界』の連載のおかげで、東浩紀ってのはアニメとゲーム以外に碌な教養がないということが分かってきた。今月の『文學界』なんて、まるで修士課程の院生のレポートだ。「アウシュヴィッツのあとで詩を語るのは野蛮である」なんて、性格の悪いアドルノの思いつきでしかないだろう。『啓蒙の弁証法』なんてのもインチキで、いくら教育したってバカはバカってことでしかない。   
 だいたいヘーゲルからして出鱈目なんだからね。東の文章を見ていると、ああ留学したことがない奴だなというのがよく分かる。「スタンフォード日本センター」って別にスタンフォードにあるわけじゃなくて京都にある。

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 これも東が言いだしたのじゃないかと思うが、「顕名」ってまあもとは法律用語を「匿名」とは違うものとして言うのだが、そりゃ十分に匿名の一種である。
 筆名というのもあるが、じゃあ「狐」が筆名だと主張したら? 「東川端三丁目」なんてすでにこの名前で書評を書いている。「蠅」だろうが「ナナ氏」だろうが、それが筆名ですといえば筆名になってしまうだろう。
 つまり「匿名」というのは、実名を隠すことである。

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前に登場した昔東大生の某君だが、大学生時代に、どこかに「誰がこまどり殺したの」とあるのを見つけて、へらへら笑いながら、「パタリロの『だ〜れが殺したクックロビン」はこれから来たんじゃないか」と言ったから、こいつマザー・グースだって知らなかったのかと呆れたものである。   

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大原麗子は『新・坊っちゃん』(1975)のマドンナ役に決まっていて撮影も始まっていたのが、病気で降りて、結城しのぶに代わった。『坊っちゃん』ってのは原作に主人公の名が書いてないから、映画やドラマになるたびに名前が違って、この時は矢田部。当時まだ無名に近い西田敏行山嵐河原崎長一郎が赤シャツ、三国一朗が狸、下條アトムが野だいこだった。
 林寛子も少女役で出ていて、いいドラマだった。市川森一だし。また観たいが例によってヴィデオ残っていないのかな。

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『春のめざめ』の題で日本公開された1963年のギリシャ映画は『ダフニスとクロエ』が原作で、今でも米国あたりで「Young Aphrodites」の題でDVDが出ている。これを観たが、16歳くらいの少女が、横から胸がしょっちゅう見えるし、いっぺんだけ正面から胸が出る。これは児童ポルノなのか、とアグネス・チャンに突きつけたい。