枡野浩一さんのブログが参照されていて、安原顕による生原稿流出に関する村上春樹の文章を批判したものである。
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_3b3f.html#more
『サイゾー』では、それをもって安原の人格まで批判するのは、とあり、私も追認している。確かに枡野さんはそういうことも書いているのだが、私は、安原による春樹作品への批判を無効にしようとしている、というところが重要だと思い、そう言ったはずなのだが、記事ではそこが「人格批判」のほうへシフトしていた。
安原の人格に対しては私も批判がある(高田里恵子の『文学部における病い』のbk1の書評で、芳賀徹を芳賀檀の息子と書く事実誤認を、私に指摘されて削除したのに、芳賀先生の悪口だけ残っていて、しかしこの本に芳賀徹は出てこないのだから無意味だと言っているのに直さないbk1とか。今なお残しているbk1が悪い)。
http://www.bk1.jp/review/0000053418
あるいは坪内祐三が明らかにした、酒を飲んで人にからむやり方とか、安原の人間性は十分批判してもいいのだ。しかし、春樹の作品への批判は、無効にならない。私が言ったのはそういうことであって、人格批判をしてはいけない、と言ってはいないので、些細なことだが訂正しておく。
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東浩紀が、村上春樹が正当に評価されていないという根拠として「芥川賞をとっていない」を挙げた時、ああこれは文学の素人だなと思ったものだ。芥川賞をとっていないから評価されていない、などということは成立しないのであって、いま選考委員をしている黒井千次もとっていない。山田詠美は直木賞。太宰治、中島敦、武田泰淳、島尾敏雄、阿川弘之から、金井美恵子、富岡多恵子、曽野綾子、阿部昭、後藤明生、津島佑子、高橋源一郎、島田雅彦、みな芥川賞はとっていない。たぶん東はここで挙げた作家たちを碌に読んではいないだろう。(1946−49年デビューの作家らは芥川賞が休止していたから三島や大岡はそれでとっていない)
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あることを考えていて、『文學界』7月号の値段を見たら、千円だったのでびっくりして、他の文藝雑誌を見たら、『新潮』『群像』が950円前後、『すばる』が800円台である。『文學界』も6月号までは950円前後だった。遂に、こういう時が来たか、と思ったのである。
あること、というのは、文藝雑誌の、小説や評論の、一挙掲載である。300枚とか600枚とかである。たいていすぐに単行本になるから、実は雑誌で買ったほうが安い、ということを考えていたのだが、こうなると、文庫本になるまで待った方が安いということになる。
しかしこの、一挙掲載というのは不思議で、なぜすぐに単行本にしないかということなのだが、書き手からすれば、原稿料と印税と両方もらえるからいいのだが、むろんたとえば、掲載誌の売りあげが伸びるということがある場合があって、だからよほどの話題を呼びそうなものでなければそれはやらないだろう。なかんずく書き手が四方田犬彦のような大学教授の場合、生活保護の意味もないわけだから、それが主である。
だが一方で、一挙掲載をしなければ、その誌面を、恵まれない作家の短編で埋めることもできるわけだ。
本当はそういうことを書こうと思っていたのだが、『諸君!』廃刊と同時に『文學界』が千円になるというのは、どういうことなのか、そっちのほうが気になってしまった。
(小谷野敦)