不幸自慢

 『びんぼう自慢』といえば古今亭志ん生の自伝である。「不幸自慢」というのもあって、割とたしなめられたりするが、私は不幸自慢が好きである。それから無知自慢というのが私には顕著らしくて、なに太田光って誰とか、レム・コールハースだのメビウスだの知らないと言って、騒ぐ人がいるのを見るのが楽しいのである。なに、今どき調べればすぐ分かるのだが、わざと言うのである。建築とかSFには興味がないのである。
 『中公新書の森』で武藤康史氏が上笙一郎の『満蒙開拓青少年義勇軍』を挙げて、「あの人物は生きていたのか! と終章近くでびっくりしたことが忘れられない。耳もとでシンバルが鳴った気がした」と書いていたから、だれだれ、と図書館で見てきたら、加藤完治とかいう天皇農本主義の人が1967年まで生きていたということらしいが、そんな人知らない。
 武藤さんからは、『俳句』という雑誌に89年から、池田弥三郎の息子の池田光が「父池田弥三郎からの手紙」を連載していて、それが延々と愚痴になっていると聞いて、図書館で見てきたが、ドイツ留学中の話らしく、さほど興味が沸かなかった。

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助教」というのは、何も2007年に作られた言葉じゃなくて昔からあった。代用教員のことなどを言った。
 私が阪大の講師になったあとか赴任する前か、「二年くらいしたら助教授になれるだろうし」と母に言った時、母が「助教になれるといいね」と言った。そのことをよく覚えている。
 あの当時は「助教授」というものがすごく眩しく感じられたものだ。誰それが助教授、と同年輩の人のことを聞くと、ふつふつと嫉妬したものである。
 それが今や、私より若くして教授、なんていうのは私立ならざらである。
 長年私が「チンピラライター」と呼んできた永江朗が、早大客員教授であるらしい。ああ…。
 「客員」がつこうが「特任」がつこうがたった一年だろうが、「助」や「准」のつかない「教授」になってみたいものだ。いや、まあ、遠隔地へ勤務するのは嫌だけど。
 聖トマス大学などが潰れるらしいが、あそこには三浦太郎教授がいる。他人の不幸は蜜の味である。(中部大学へ移っていた)

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『世界思想』といえば、世界思想社のPR誌で、年一冊、薄いのが出ている。ところがもう一つ『世界思想』という雑誌があるらしく、世界思想出版というところから出ているが、これは統一教会の雑誌だ。国会図書館とCiNiiの雑誌記事は、なぜか後者を入れていて前者がない。何か勘違いしたのではないかという気がしないでもない。