痴漢になりかける

 帰宅途中、ちょっと混んだ電車へ乗り込もうとしたら、前にいた六十くらいのおばさんが動かないので、つん、と指で背中を突いたら、嫌な顔で振り向かれたから、すみません、と謝った。
 しかし「指で突く」のは意図してやったことで、てのひらで押したら「痴漢」認定されかねないからである。もはや、満員電車ではてのひらを開かない、というのは、痴漢にされないための鉄則なのである。

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 これは前に書いたが、中島ギドーは、電車内で携帯電話で話している女子高生を注意して、「あなたは誰にでもそういうことを言うんですか」と言われて「そうです」と答え、その後女子高生から、「おじさん、面白い人だから連絡先教えてください」と言われたなどという自慢話を書いている。私は当時、もし誰にでも注意しているなら、今ごろボコボコにされているはずだ、と中島に手紙を書いて質した。中島から返事が来て、「私は敵を見分けることができるので、『場合によって誰にでも注意する』の意味です」とあった。これで私は、ギドーは嘘つきである、と判断したのである。なーにが「敵を見分ける」だ。怖そうな人には注意しない、ってだけだろうと。

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小林よしのりの『天皇論』は、『SAPIO』の連載で読んでいたが、鎌倉幕府の成立を1185年にしたのは、天皇の権威を弱めるための陰謀だとか、噴飯もののことが書いてあった。まあ、書き下ろしの部分は見ていないから、そこで「差別論」との関係が記述されているかいないか、が問題だろう。もっとも連載でも、天皇制は差別の根源、というのを否定していたし、望み薄ではある。天皇がいたから独裁者が出なかった、なんて書いてあったが、それじゃ佐藤優とおんなじだ。じゃあなんで国王がいてもムッソリーニが出たのかね。
 天皇制は差別の根源である。原因ではない。「人を生まれで差別してはいけない」という教育は、天皇制の前に砕け散るのだ。