「著」と「編」の違いは気になる。一見「著」のように見えて「編」であることがあるからで、先日の赤松良子の自伝も「編」である。
さて図書館で齋藤孝の『人間劇場』を手にとって、驚いた。これは「著」となっている。「編」と書いてなくて「齋藤孝」とあれば「著」だが、奥付も「著者」である。しかし、例によって古今の齋藤の好きな、まあ道徳的な文章のアンソロジーで、ちょぼちょぼと齋藤の解説がついているだけで、これはどう見たって「編」である。『ちくま』の9月刊行書目には、『童貞小説集』小谷野敦、とだけあって「編」が抜けている。これは単なる間違いで、現物には「編」と書いてある。詐称はいかん。
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『諸君!』十月号の「私の血となり肉となった三冊」アンケートで、中島ギドーがあげているのは、サルトル、カミュ、そして・・・「クレジオの『愛する大地』」。ギドーよ、それは「ル・クレジオ」って言わないと姓にならないのだよ。サン=テグジュペリを「テグジュペリ」という類。