学者的礼儀

 結局、烏峰波多野春房については、オタどんに教えられた久保田文次孫文梅屋庄吉とインド革命家の交流 : バルカトゥッラー、バグワーン・シン、R・B・ボース、波多野春房をめぐって」『史艸』(日本女子大)46, 2005.11)が一番間違いがなく詳しく網羅的である。今なお、波多野の没年など不明だが、高山で遺族に会った永畑道子さんは病中らしいし、あとは波多野家の墓がある横浜の覚永寺で墓を探すしかないか。
 久保田先生(1936- )は日本女子大を2005年に定年、山梨県立大学国際政策学部長だったようだが、それも退任されたようで、昨年12月に中央公論から自費出版をしている。
 レズラズィ氏の勘違いにも気づいていたはずだが、それには触れていない。学者的礼儀の一つといえよう。

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栗本薫、死んだか。まあこれも、死ななくてもいい作家だなあ。(私は「来世」というものを信じていないから[というか、そんなものはないから]冥福をお祈りします、とは言えない)。
 栗本は、吉川英治新人賞をとっているが、この賞はちょっと呪われている。受賞者のうち、加堂秀三野沢尚が自殺、景山民夫中島らもが事故死している。 
 ところで中島梓栗本薫で、栗本のほうが著作は多いのだが、最後まで「中島梓」が本筆名(?)のような気がする人だった。
 なおこの二つの筆名について、私は、ともに34歳で死んだ森本薫と中島敦をもじったもの、と高校生の頃考えていて、本名が純代だから「ミヨ」と…。いかにも高校生らしいバカバカしい思い付きであった。