自作自評

 『フリースタイル』という雑誌で私の著作が二冊とりあげられている、と栗原さんのブログで知って、近所の本屋で探したのですが見つからず、栗原さんに送ってもらいました。
 『里見弓享伝』を取り上げてくれたのは窪木淳子さんで、最後に「小谷野さんの鉄砲玉のような文士っぷりから目が離せないこの頃です」と結ばれています。窪木さん、ありがとうございました。
 『美人作家は二度死ぬ』を取り上げてくれたのは枡野浩一さんで、枡野さんはこの小説のために孤軍奮闘の態でありがたいことです。これがあちこちの出版社で断られたという点に「出版社の審美眼というものに疑問を持つ」と書いています。
 しかし私は「文藝評論家もどき」なので、理由は分かります。第一に、長生きしたら埋もれていたという仮定が、樋口一葉ファンを怒らせる、ということ。そして、樋口一葉を読んだことがない人には今ひとつ面白くないだろうということ、このディレンマがあります。
 特に後者、ある程度の教養を要請する小説というのは、現代においては売れません。水村美苗の『続明暗』ですら、単行本、文庫本ともに今では品切れです。出た当時騒がれたのは、水村氏が一般人にはまったくの新人で、美人で、漱石そっくりの文体と言われたからです。
 さらに山下晴代さんの、もっと長くしろ、という指摘ですが、これは、一般的に言って正しいです。さすが、小説を書いている人です。この内容でこの分量は、常識的に言って短かすぎで、この倍はいるところです。ただし、パラレルワールドものという制約から、これ以上長くすると破綻を来す恐れがあった。広瀬正は『エロス』でそれを描ききっていますが、それも、淡谷のり子の生涯を下敷きにするというもう一つの仕掛けによって可能だったことです。
 それと私は、どうも現代の小説には、不要に長くする傾向があると思っています。一緒に取り上げられた村山由佳の『ダブル・ファンタジー』なんかその典型で、あの半分でいいと思う。里見弓享の『極楽とんぼ』は、岩波文庫ではそれだけで一冊にできない程度の分量で、一人の男の生涯を描いている。『美人作家』と同じくらいの、二百数十枚です。恐らく、里見が現代の新人作家だったら、もったいない、もっと長くしろ、と編集者から言われたろうと思います。とはいえあれでも、私が二十代の女性でまったくの新人だったら、文藝賞くらいとったかもしれない。