苦労人・稲葉真弓 

 稲葉真弓さんが、短編「海松」で川端康成文学賞を受賞ののち、同題短編集で藝術選奨文科大臣賞を受賞した。
 稲葉さんは今年60歳だが、高校卒業後、23歳で中央公論社の女流新人賞を受賞した。しかし長く単行本を出すことができず、31歳で初の単行本『ホテル・ザンビア』を出す。だが売れず、次の単行本は十年後の41歳の時であった。その翌年、鈴木いづみを描いた『エンドレス・ワルツ』で女流文学賞を受賞しているが、この作品は、鈴木の遺児から、プライバシーの侵害として提訴されてしまったのである。だが、それらは「周知の事実」だったのに。この裁判がどうなったのかは分からないのだが、恐らく和解したのではあるまいか。
 45歳の時に『声の娼婦』で、不遇な文学者に与えられる平林たい子文学賞を受賞したが、一時は稲葉さんの代表作でもあったこれは、文庫化さえされなかった。稲葉の文庫化されたものは二冊だけである。それから、年に一冊か二冊、時には一冊も出ない、一時は結婚もしたが離婚、というありさまで、どうやって生計を立てていたのかと思われるほどである。
 いくら三つの賞をとっていても、この場合「生き残れなかった作家」と見なされる。女性であれば、結婚して作家は廃業するか、男女問わず、官能小説や時代小説のような売れるものを書いて生き延びるのが普通だ。私は、そういう方向をとることも、文筆家としての一つのあり方だと思う。しかし稲葉さんは頑張りぬいて、「生き残った純文学作家」になったのである。
 私は苦労人には甘いのである。逆にいえば、隆盛を極めるような人には厳しいのである。