古書払底説

 インターネットで古書が買えるようになったのは画期的だった。それまでは、古書店で現物を見つけるとか、せいぜいカタログで探して注文するだけだったのが、たちまち検索できるようになったのだから、私など、よほど入手困難なものや高価なものでない限り、それまで欲しいと思っていた本は、ほぼ入手した。
 ところが、それをやる人が次第に増えてくると、古書払底が起きるのではないか。現に最近、検索しても見つからないものが増えてきている。
 モーリス・センダックの絵本『かいじゅうたちのいるところ』は、1975年に神宮輝夫の訳で出て今も流布しているが、最初の訳は1969年の『いるいるおばけがすんでいる』である。これはウエザヒル出版というところから、ウエザヒル翻訳委員会訳として出ているが、その委員会には三島由紀夫も名を連ねているらしい。三島全集には推薦文も入っている。神宮訳よりも、低年齢層を意識した翻訳だが、児童文学界では、これは良くない訳、と認識されていたようだ。しかし、本当に良くない訳なのか。戦後の児童文学界は共産党に支配されてきたことが、最近も告発されつつあって、それで三島などが加わった翻訳は許せんということもあったのではないか。
 それで私はこの『いるいる』を入手しようとしているのだが、ない。
(付記)その後持っている人に教えられた。委員は以下の通り。
監修委員:木下一雄、黒崎義介、坂元彦太郎、三島由紀夫、ハル・ライシャワー
翻訳委員:園一彦、坂出寿栄、阪井妙子、M・ウェザビー、R・フリードリック
 木下、坂元、園は教育者、教育学者で、黒崎は童画家、ウェザビーは恐らく世阿弥の英訳をしたメレディス・ウェザビーだろう。坂出、阪井、フリードリックは不明。ハルは言うまでもなく松方正義の孫娘でライシャワー夫人。
 ライシャワーが当時、左翼から見ると米帝の手先だったことは、林房雄大東亜戦争肯定論』にも書いてあるし、私の『なぜ悪人を殺してはいけないのか』所収の「マッカーサーの末裔たち」にも引用した。黒崎は戦時中に戦意高揚絵本を描いている。なるほどこの顔ぶれでは、左翼支配の戦後児童文学界で忌避されたのも当然だろう。  

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私は星新一というのをちゃんと読んだことがない。高校時代、星を選者として講談社ショートショートを募集していて、応募している級友がいたので、私も作ってみたが面白くならなかった。級友から、素人のものを見せられて、おもしろいのが一つあった。完璧な精神安定剤を開発した学者が試しにそれを飲んで、「成功だ。この嬉しくないことと言ったら」という落ち。しかし、級友が面白がっている別のものは、ちっとも面白くなかった。
 大学三年の頃、必要があって『未来いそっぷ』というのを読んだが、面白くなくて途中で放り出した。多分これは、星の創作力が落ちたあとの作品集なのだろうと思った。何しろショートショートだから、星新一にこういう話があって、という話はしばしば読んだ。
 筒井康隆ショートショート集『にぎやかな未来』は通読したが、全然面白くないのも混じっていたし、恐らくショートショートというのは、そうそう次々と面白いものが書けるジャンルではあるまい、と思った。
 今回、ついに一念発起して、アマゾンのマケプレで『ボッコちゃん』を買って読み始めた。案の定面白くなくて途中で放り出した。解説が筒井康隆だったから、これは熟読した。そして驚いた。筒井は、星の作品が面白くない理由を、極めて婉曲ながら書いていたからだ。これは1971年のものだ。ストイック、とあるが、過剰に笑いをとろうとしない、下ネタは使わない。
 恐らく星のショートショートを読んで面白がれるのは、小中学生だろう。まあそういうことも最相葉月の伝記を読めば書いてあるのかもしれないが、面白いと思わない作家の伝記をわざわざ読む気にはならない。
 それにしても、調べてみて、星が寡作なのに驚いた。まだ50にもならないうちから、年間の著作は一冊から三冊の間を推移している。それだけ売れたということか。