「遠雷」の衝撃

 三浦展の『非モテ!』はひどい本だ。まあ予想した通りというか、予想以上というか。だって三浦の単著じゃなくて四人くらいの共著。「三浦展著」じゃなくて「三浦展編」だろう、これは。マーケティングの人がこういう詐欺まがいのやり方をしてはいかんよ。
 それに、斎藤留美とかいうのが書いた部分、歴史を辿って、本田透とか酒井順子は出てくるのに、『もてない男』が出てこない。完全無視。あのね、あの本が出るまで、男がもてない、って問題がクローズアップされたことはなかったのよ。

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なんか電車の中に最近よくあるマナー広告で、鼻をかんでそのティッシュを椅子の下に押し込むマンガがあって「家でやりましょう」とあってむかついた。鼻炎の人間にとって外出ってのがどれほど大変か(というか花粉症全盛の今では多くの人がそうだが)分かっているのか。だいたい駅でゴミ箱をなくしてしまったのがいけないのではないか。テロ対策とか大嘘。ゴミ箱なんかなくたってテロはできるし、単なる労働力削減としか思えない。

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立松和平原作、根岸吉太郎監督の映画『遠雷』は1981年で、確か最初に観たのはテレビ放送の時だから84年くらい、大学生の時だったか。栃木県の田舎でビニールハウスでトマトを作っている永島敏行とその友人のジョニー大倉。おさわりバーへ行くし、ビニールハウスでセックスするし、見合いの帰りにラブホテルへ行くし、当時の私からすると「不良あがり」としか見えないし、まるでかけ離れた境遇にある若者たちを描いていた。にもかかわらず、結末に至って、ジョニー大倉が悲痛な体験を語る場面あたりまで来て、私ははっきりと共感できたのである。これは大きな衝撃だった。むろん、過去とか外国とかの話なら分かるが、同時代日本で、自分とはかけ離れた生き方をしている人間に共感することができるという不思議。そんなことに大学三年生くらいで気づくというのも情けないオクテぶりだが、あれは忘れがたいものがある。
 ロックに疎い私だが、エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」が名曲であることは知っている。

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そういえば中村歌右衛門が「阿古屋の琴責め」(『壇浦兜軍記』)をやったのを学生時代に観た。琴、胡弓、三味線がすべてできなければならないので、歌右衛門しかできない難役と言われていたが、その楽器が軒並み下手なので驚いた。このレベルで、「歌右衛門しかできない」なのか。
 井上章一さんが自分のピアノをCDにした、私家盤とでもいうのか、『アダルト・ピアノ』というのを大分以前に送って下さったが、中味はまあ、プロではないということで…。またそのプロにもピンからキリまであるんだよねえ。実際、音楽演奏の技術などはどんどん進歩しているから、20世紀始めにはプロで通じた技術でも、今なら楽隊屋だ。マンガの絵だって、60年代はえらい下手でもプロになれた。落語の藝は衰退しているが。

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川内まごころ文学館編『光芒の大正−山本實彦関係書簡集』(思文閣出版)を犬塚孝明先生からいただいた。里見との往復書簡が一組あった。