与謝野晶子の言論

 歌人で元毎日新聞記者の松村由利子さんが『与謝野晶子』(中公叢書)を刊行した(ところでウィキペディアで、著作について書く時に、「講談社講談社現代新書」みたいに書いている人がいるが、講談社は不用だと思う。生活人新書なら、NHK出版と併記してもいいが、分かりきったことは略してよろしい)。
 14年前、二冊目の本『夏目漱石を江戸から読む』を出して、また黙殺されるのではないかという恐怖からノイローゼになっていた私に、面白かったと言って大阪まで会いに来てくれた人で、歌人として活躍し始めてからは、蔭ながら応援していた。
 しかし、今度の本は良くない。従来、暴論とされてきた、母性保護論争における晶子の、母性保護など必要ないという議論の見直しが中心なのだが、うまく行っていない。あれは晶子が悪いのである。自分は才能があってやたら元気だということを根拠にしてものを言っているのだから。松村は、晶子が、論争相手が額に汗して働いたことがないと怒っている、というのだが、晶子がどこで額に汗して働いたというのだろう。堺の裕福な商家から、妻があったとはいえ鉄幹のもとへ半ば駆け落ちし、ほどなく歌人として認められ、続いては随筆家として、鉄幹が苦悩するほどに活躍した晶子は、要するに在宅の原稿書きのほかは、せいぜい文化学院で教えたくらいで、工場で働いたり農業に従事したことなどないのである。晶子の言い分は、それこそ母親に子育てを任せて「私は子育ても仕事も両立させてます」などと言っている女と同じなのだ。それに晶子が何よりいかんのは恋愛結婚至上主義で、松村もそれを何やら賞賛しているのだが、恋愛なき結婚は不義であるなどと言われると、もてない男女がいたずらに苦悩する結果をもたらすと私が言っているではないか。
 あと矯風会による公式行事への藝者の登場への批判に対して、買春する政治家が仲間にいるのを晶子が批判する、それはいいが、松村は、児童ポルノ・買春処罰法を何やら礼賛している。むろん私は反対だが、いったいなぜ「児童買春」をした者が逮捕されているかといえば、売った少女が通報しているからではないか。そんなバカな話があるものか。また松村はこの発言を目して、晶子がいかにラディカルだったかと書いているのだが、既に『萬朝報』で黒岩涙香が「蓄妾の実例」を連載していたし、これも晶子を褒めすぎ。
 残念ながら「晶子の言論には問題があるけれど」と言っていた佐伯順子のほうが、この場合は正しいのだ。私は常に是々非々である。ヨコタ村上は、実に困った男だし、今なお、比較文学に否定的な考えを持っているから比較文学会から除名しろと私が熱心に活動したなどという嘘を掲げている。何かあったら削除を求めて提訴するつもりだ。だが、たとえヒトラーであっても、やってもいない罪を告発されてはならない。当然のことである。

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『英語青年』の最終号はすごい。特集なし、かといって最終号であることを示すものもほとんどなし。静かに消えていく、という感じ。チョムスキーの妻が死んだ。ヒラリー・ウォーが死んだ。ドナルド・ウェストレイクが死んだ。こういう人事欄が『英語青年』の読みどころだったなあ。

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阪大にいた頃、一度だけ、渡辺秀樹に同情したことがある。秀樹がある女子院生と、修論の中間発表の相談をしていて、秀樹が、まだこれじゃダメだから、と言うのにその女子は「私、友達と旅行に行くんです」などと言い、秀樹は呆れて、君ねえ、こんな大切な時にそんなことしてる人いないよ、と言っていた。
 阪大へ行った時は、院生の雰囲気が東大とまるで違うのに驚いたものだ。まあ特に、言語文化というのは、文学部の院へ行けなかった者が行くところ、とされていた(いる)というのもある。ある年、院生の自己紹介をまとめた冊子を見ていて、女子院生が、『魔法使いサリー』のよっちゃんみたいな顔を書いて「おバカですがよろしく」と書いているのを見て、おバカなら大学院来るなよ、と思ったことであった。

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http://d.hatena.ne.jp/maonima/20090210
シバである。かわいい。『美人作家は二度死ぬ』に出てくる「峰」のモデルである。