少し前、宮崎哲弥氏が映画『人間革命』を入手したと書いていたが、私もDVDを入手した。もっとも別に入手は困難ではなくて、シナノ企画で通販もしている。
何しろ丹波哲郎主演、橋本忍脚本、舛田利雄監督、伊福部昭音楽という豪華な映画だから、いきなりゴジラのテーマ、と巷間言われる地球防衛軍のテーマも流れるし、のちの『幻の湖』を思わせる、単に「修羅」「餓鬼」の世界を説明するのに、わざわざごく短いショットが挿入されたりと、話題には事欠かないが、やはり後半は、戸田城聖の説教が主となる。
ところである学生にこの映画の題名を告げたら、学生は、池田大作の一代記だと思っていて、牧口常三郎や戸田のことを知らなかった。まあ、私だって若い頃は怪しいものだったが、創価学会って池田大作が作ったわけじゃないのですよ。
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純文学と大衆文学の論議をする時、人は往々にして、純文学は例外を除いて売れない、また売れないが文学賞や藝術院入りなどの名誉がついてくる、大衆文学は売れるけれど名誉が乏しい、特にポルノ、ラノベなどになると名誉とは無縁、という風に図式を作る。
しかしよく考えてみると、売れない大衆文学作家というのも、いるのである。西村京太郎や大沢在昌が最初は売れなかった、と言っているが、これらは後になって売れたからいいとして、たとえば岡江多紀など、いくら書いても売れない大衆作家である。
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それにしても、内田ジュ先生お気に入り(だった?)飯田祐子先生はどうしてしまったのだろう。『彼らの物語』から十年たつが、二冊目の本は出ないし、書評とか展望ばかり書いているように見える。李孝徳もそうだが、一冊だけ出して終っちゃう人って、何なのだろう。一冊で力尽きるのかな。あるいは単に才能がないとか。
http://www.kobe-c.ac.jp/courses/co_tota.html
しかし神戸女学院大学、こんなやさぐれた顔の女子学生の写真を出して、どういうつもりか。
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久しぶりに仲俣君のことが気になってあちこち見たら、エミリー・ディキンソンが生きていると思っていたらしい。まあそれは修正されているが、その下のほうで、
沼野充義訳によるヴォスワヴァ・シンボルスカの「奇跡の市」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、木島始訳によるマフムード・アル・ブライカーンの「静かな恐れの歌」、そして最後は長谷川四郎訳によるロベール・デスノス「最後の詩」。宮沢賢治をのぞくと、デスノスの名をなんとなく聴いたことがあるほかは、知らなかった詩人ばかりだが、訳者がすばらしい
ノーベル賞をとったヴィスワヴァ・シンボルスカを知らないって、凄い奴だなあ。
(小谷野敦)