リキとタカ

 私の後輩に実村文という人がいて、いま某大学の准教授だが、私は彼女が大学院へ来た時、なぜか男だと思い込んでいて、「じつむら」などと読んでいたのだが、「文」といえば一般には女だろうになぜそう思い込んだか、しかしどうも男に見える字面である。あと表象文化論のたしか第一期生で、今は知らないが、当時は表象というのが女子の行くところとは思えなかったせいもある。
 音信不通になってしばらくたつが、ふと彼女が「沈める町」という戯曲を発表していて、文化庁舞台芸術創作奨励賞の佳作として『新鋭劇作集19』というのに入っていたので、読んでみた。実村さんは前に自費出版でもあろうか詩集を出していたが、この本の紹介文によると演劇活動もしており劇団の主宰で、今はドイツにいるらしい。お元気そうで何よりである。
 さてその「沈める町」は、リキとタカという二重人格のウリ専のゲイが主人公で、そのリキにはまってしまった男ゲンと、それを憂えるゲンの妻ハツと、ハツが相談をもちかけるユウキ先生というのが主なる登場人物である。ところで多重人格といえばもう十年も前に『24人のビリー・ミリガン』というのが売れて話題になり、NHKの番組で、少女の人格になる大人などの映像が流されてさらに話題になったものだが、その後、ミリガンもこの映像も実はインチキだということが言われて、多重人格というのは今では解離性同一性障害というそうで、しかしミリガンや映像はやっぱりインチキで、そういう面白おかしい類のものではないはずだが、『ビリー・ミリガン』のアマゾンのレビューを見ると、まだ信じている人もいるらしく、どうなのかなあと思う。
 漱石の『行人』の中に気の狂った女の話が出てきて、気が狂うと言いたいことがみな言えて気楽だろうみたいな話になるのだが実際は統合失調症(この言い換えには私は賛同している)の患者の内面というのはもっと苦しいものであるという。小川洋子の『博士の愛した数式』は映画『メメント』のパクリだろうとしか思えないのだが、それにしてもああいう病気は実在しないだろう。仮にあったとしたら当人は日常生活などできなくなるはずで、『メメント』の主人公はやたら元気なので失笑してしまい、別に結末のどんでん返しなどというのも大したことはない。
 さて実村君の戯曲は、ドビュッシーの「沈める寺」を音楽とし、途中にはブルターニュのイスの町「沈める町」伝説もからんで、ただし三島の『沈める瀧』は関係なく進んで、最後にゲンがリキあるいはタカと無理心中するという結末に至るまで、これが樋口一葉にごりえ」の書き換えであることに気づかなかったのだから我ながら間抜けである。