ポーツマスの旗

 私は『落日燃ゆ』より、『男子の本懐』が好きである。あるいは吉村昭の『ポーツマスの旗』が好きである。ところで後者は、小村寿太郎が、日露戦争の和平条約を結ぶために米国ポーツマスへ行く話だが、国民は勝ったと思っていたがもう日本軍にはこれ以上戦う力がなく、ロシヤに対して大幅に譲歩した条約になった。交渉相手は、二葉亭四迷ポルトレを書いているウィッテである。賠償金はなし、かろうじて南樺太の割譲を受けただけという結果に一部の国民は怒り、小村を国賊と呼び、天皇に詫びて割腹しろと言い、日比谷で焼き討ち事件を起こした。
 さて、陸奥宗光の『騫々録』を読むと、日清戦争講和条約のため李鴻章が下関に来た時に暴漢に襲われ、天皇詔勅を発して、李を傷つけないよう国民を諭したとあった。これで私はふと疑問に思ったのは、なぜポーツマス条約の騒ぎの時にも、詔勅を出さなかったのかということだ。
 私は新聞で吉村氏の『生麦事件』をとりあげたことがあり、確か一度ほど葉書を戴いていたかと記憶するが、吉村氏に葉書を出して、なぜかと問うてみた。すると、日本にはもう戦力がないことをロシヤに知られてはまずいので、それはできなかった、というお返事が来た。
 私は押しては訊かなかったが、この答えには納得しなかった。既に警察署などが襲われている以上、講和は朕の意思である、と言えば済むことだし、日本が弱腰であることは、外交官ウィッテには見通されていたはずだからだ。ロシヤにしても第一次革命やポチョムキン号の反乱が起きており、よし日本にもう戦力がないならもう一丁、などという状態ではなかったはずである。
 (小谷野敦