http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20080915/1221477793
ここにあるのが最初に書いた文である。なるほどそうか。そういえばそんな記憶もある。
しかし随分不自然な設定であることに変りはない。
最初のほうで篤姫が、薩摩から来た中に「小松尚五郎という者がいるか、調べられるか」と問う。続いて久光に会うのだがその際小松帯刀もついてくる。その後、将軍に頼んでもう一度帯刀と会う機会を作ってもらい、そこで篤姫は、尚五郎が小松家のちかと結婚して小松帯刀となったことを初めて知る。だが、小松家へ養子に入ったと聞いて、ちかと姉弟になると思うのも不自然で、ちかは病弱ということになっていたが別に病臥しているわけではなし、その家の娘を差し置いて別の女と結婚したりできるものだろうか。小松家へ養子に入ったと聞いて、ちかを妻にしたと思うのが自然である。
しかも、久光に一人だけ小松帯刀がついてくるのに、その名を天璋院が知らされずにいるのはおかしいし、後で将軍から帯刀を呼び出しているのに相変わらず小松帯刀の名を知らずにいるのもおかしい。
それもこれも、小松帯刀と対面して、初めて小松家のちかと結婚し、名を帯刀とした、と帯刀の口ずから聞かせたいがために重ねた無理である。
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黒古一夫先生が、匿名でのコメントに対して、モラル・ハザードがどうとか書いておられる。いったいなぜモラル・ハザードなどという英語を使わなければならないのか私は常々疑問なのだが、では黒古先生は「東京新聞」の「大波小波」とか、『群像』の「侃侃諤諤」などの匿名批評についてはどうお考えなのだろう。私はこれらは、編集長とか新聞社が責任を担保しているからネット上の匿名とは違うと思うが、しかし別に匿名での批判に対して私が批判的だからといって、それが、倫理道徳が低下したからだとは思わない。仮に五十年前にインターネットがあったら、同じことが起きていただろう。
(小谷野敦)