臼井吉見の『15年目のエンマ帖』(中央公論社、1961)は、戦時中に臼井が東京女子大で教えた女性たちのその後を追ったもので、『婦人公論』に連載された。室生犀星「蜜のあはれ」のモデルとされる栃折久美子川端康成ハワイ大学で講演した時に手伝った国文学者の小山敦子などが登場する。
 中に、古筆学者・小松茂美の妻となった飯島丸、のち小松丸も登場する。小松茂美といえば、大学を出ていないのに三十代で古筆の研究を認められ朝日賞をとった人だが、数年前に出た伝記を読んでも、貧しくて大学に行けなかったのでも、ましてや頭が悪くて行けなかったのでもなく、単に父親の方針で、国鉄に入らされたのであり、才能はもとより、経済的には国鉄の親玉だった佐藤栄作の後援は受けているし、教授になれなかったとはいえ国立博物館に勤務して安定しており、しかも文化財保護委員会勤務の文部技官の妻もいたのである。なお美術関係では、美術館、博物館などで出世するという道もあり、館長と教授を行き来したりもする。
 男の子がいる、とあるが、これなん、小松美彦氏である。牛乳を嫌ったので、お昼になると、留守の人が上野までつれてきて母乳を与えたとある。留守の人、なんてのがいるところがすごい。小松茂美については、知れば知るほど、学歴があってもカネと後ろ盾がないよりは、という気がするのである。だいたい、やはり学歴がなかった牧野富太郎だって、子供の頃は家は富豪だったのである。