困っている

 昨日の毎日新聞に、藤森照信による井上章一『日本に古代はあったのか』の書評が出ていた。もちろん褒めているのだが、実は私は困っている。私は井上さんの言説史の方法を評価してきたし、多産でありながら着実な学者だと思ってきたが、今回はどうもいけない。
 たとえば、日本の中世は鎌倉時代、ほぼ13世紀から始まるが、西洋の中世は6世紀頃から始まる。なぜ七世紀もずれるのか、というのだが、地域によってずれるのは当然のことで、たとえば小西甚一『日本文藝史』を見れば、アイヌ琉球では17,8世紀まで古代だったことになっていた(ように思う)。未開社会ならそうなるし、第一西洋史に「近世」という区分はない。
 それで井上さんは、石母田正らの中世区分に疑問を呈して、従来の日本史の時代区分は関東中心だったのではないか、と言う。
 しかし、古代・中世・近世・近代などという時代区分は、科学的根拠を持つものではなくて、ただの便宜だと私は思っている。特に西洋の近代など、ルネッサンスから始まるのか啓蒙思想から始まるのか、産業革命から始まるのか、分からない。
 だから私は石母田はもちろん、黒田俊雄であれ誰であれ、便宜にしか過ぎない区分について、何々は古代的で何々は中世的だ、などと言うのを、非科学的な人文学として斥けてきた。
 従来の井上さんなら、時代区分などというのは便宜に過ぎず、そういう科学的根拠がないものについて議論してきた日本史学者をまとめてぶった切ってくれたと思うのだが、ここでは自分もその非科学的議論に加わってしまって、日本の中世は藤原摂関政治から始まったのだとか、古代はなかったのだとか言っている。
 それに、京都の学者として「反関東」の気炎を上げるのが、どうもかつての、冷静な井上さんらしくない。

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吉行淳之介の「いじめ」について確認。『太陽』1975年1月号のインタビュー「侘びしい遊び」である。インタビューなので単行本に入っていないだろう。
 いじめというより喧嘩の話なのだが、

喧嘩については、泣かされる方というよりもね、むしろ泣かす方だったな。それも手頃な奴、こっちが泣かすことができる奴を泣かしに行くわけだけれど、やっぱりちょっとサディスティックな気持ちじゃないですか。(略)泣かされる奴ってのは、やっぱり決まってたね、一人、二人ほどいてね。そろそろ泣いてもいいのに我慢しちゃう奴がいるでしょ、そこでボタンを押すと泣くっていうのが気持がいいんじゃないの。あいつはこのくらいいじめると泣くぞっていう感じが面白いっていうか、みんなやりたがるんだよね。その当時の小学生は余り泣かなかったから、泣くと不思議でもあり珍しくて、あいつは泣くんだぞっていうことになると皆で泣かしに行くんだよな。

 ちょうど小学校を卒業する頃これを読んで、吉行というのは嫌な奴だなあ、こういう奴が作家になるのか、と思ったというわけ。
 (小谷野敦