昭和30年代へ行け樋口康彦

 樋口康彦『崖っぷち高齢独身者−30代・40代の結婚活動入門』(光文社新書)というのを先日からぼちぼち読んでいる。著者は1965年生、関西大学および大学院出、専門は教育社会心理学、おそらく数年前から、富山国際大学専任講師。五年前から、お見合いパーティーや結婚相談所で約300万円の金をかけて結婚相手を探したが成婚には至っていない。本書はその自己ルポと、著者がひねり出した教訓を書いたものである。
 だいたい、関西大学の大学院へ行くなどというのがかなり危険な行為である。関西では二流かもしれないが、全国的には三流大学で、そんなところで大学院へ進むのは、半ば人生を捨てたようなものだ。ただ樋口の場合、1980年代、バブル経済期のことなので、一概には責められない。
 しかし樋口は身長170cm、体重59kg、顔もそうまずくない。酒も煙草もギャンブルもやらないという。
 ところが、読んでいくと、どうもこの方の考え方がおかしい。まず私は、なぜネットお見合いをしないのか、と思ったが、樋口は、それは効率が悪いという。まあ富山にいるという条件からすればそれもあろうが、それなら結婚相談所でも同じことで、どうやら樋口は、ネットお見合いというのは出会い系のようなもので、セックスを目当ての不純なものだと思っているらしい。
 そういう樋口の、とうてい現代的とはいえない考え方が如実に現れているのが、188p以下の「ケース(11)金沢の惨劇」である。ここで会った女性は31歳、N女子大学卒。樋口は、出身大学や写真から、清楚で知的なお嬢様を想像していたという。むろん著者は、ギャグのつもりでこういうことを書いているのだろうが、それがギャグとして不発に終ることが多い。「N女子大」というのが日本女子大なのか奈良女子大なのか名古屋女子大なのか分からないが、写真は見ているわけだ。ところが現れたのは写真より老けていたというのだが、年齢詐称をしていたわけでもない。なのに樋口の彼女に対する評価の仕方がかなりひどい。
 まず、チャールズ・ブコウスキーの小説の話をして、樋口が、自分が読んだ短編の題名を挙げたら、「それ、死体とやっちゃう話?」と言ったので気分を悪くしたという。冗談ではない。私なら、題名を言っただけでブコウスキーの短編の中身まで分かるなんて、N女子大卒の割りになんて知的なんだ、と思う。「やっちゃう」程度の語は、今の若い女性なら普通に使う。さらに、大学時代の彼氏に習ったから麻雀は得意ですよ、と彼女が言うのだが、それも樋口は気に入らないらしい(女が麻雀をやるのがいかんのか、大学時代の彼氏の話などするのがいかんのか)。さらに、前の彼氏は左官で話が合わず、やっぱり大卒じゃないと結婚相手としてはダメだと悟った、と彼女が言うと樋口は「だったら最初からつきあうな!」と内心で毒づくのだが、つきあってみたから分かったという話なのに、なんでそんなことを言われねばならんのか。
 さらにその左官とどこで知り合ったかと問われて「あ、あ、友達の紹介で」と言ったので樋口は、たぶん出会い系だろうと思い、「性的逸脱」という言葉が浮かんだという。お前は昭和30年代の人間か。
 さらにその女性が、今まで一番長くつきあったのは8年間だったけど、樋口さんは? と訊かれ、「41年間女性と交際したことが一度もない」とは口が裂けても言えないので、「1年くらいかな」と答えたという。そのあと、

 ・・・・・・私は、結婚活動を通じて多数の女性と交際した。しかし、そのいずれも強い恋愛感情で結ばれた恋人同士とはいえない関係だった。それで、恋愛経験とは思っていない。

 と言うのだが、さっき、交際したことはないと書いたではないか。第一、セックスもしていないのを交際したとは、今では言わぬ。
 さらに、兼六園までタクシーで行って帰ってきて、行きは樋口が払ったが、帰りは彼女が払い、950円だったが彼女は千円札を渡して、お釣りはいいです、と言ったのを樋口は、さしたる収入もないのに何たる贅沢か、と内心で罵り、別れた後で彼女から、また会いたいですというメールが来たことに仰天して、断りを入れるのである。だいたいタクシー代を自分で払おうとするなんて、すばらしい女だぞ。高学歴美人女には、デート代は全て男が払って当然、というのも少なくないのだから。
 どうやらこの樋口という人は、結婚するまで(特に女は)セックスしたりしてはいけないとでも思っているらしい。そしてはっきりと、かつてつきあった異性の話をしてはいけない、と教訓として書いているのだが、当然それは樋口自身が話して失敗したところから得た教訓ではないので、相手の女性が話したのを樋口が不快に思ったというだけに過ぎない。
 1980年代に大学院で教育社会心理学を学んで、こういう考え方をする男がいるということに、驚く。
 さらに樋口は、結婚相手を探す文章で、見知らぬ33歳の女性が、四年前に大失恋をしたが立ち直り云々と書いているのをとらえて、「これでは、体の関係も含めて長期間つきあっていた男性がいたが、棄てられてしまった女性」と受け取られかねず、不適切だと書いている。
 樋口は33歳の女に、かつて恋人がいたらいかんというのか。しかも恋人同士が別れることなど日常茶飯事だというのに、それは樋口にとっては「棄てられた」ことになり、女にとっての不名誉になるらしい。さらに「恋愛においてはとっても一途です。好きになった男性にはとことん尽くします」といったPR文さえ、過去つきあった男に尽くしてきたことを連想させて男は不快になるという。
 樋口よ、私は、恋愛弱者や結婚弱者の味方である。だが、君に関しては、女性観が相当歪んでいると言わざるをえない。
 またケース(7)では、結婚相談所のパーティにかなりの美人が現れ、しかもその女性が樋口を選んでくれたので舞い上がったはいいが、その後音沙汰がなく、しばらくしてお断りの返事が来たという。友人に相談すると、それはサクラだと言う。私もそうだと思う。ところが樋口は「そうだったらおもしろいが、実際には業界大手のA社がサクラを使うことはありえない」と、何の根拠があるのか知らないが、断言する。この本はもしかして結婚相談所の宣伝のための本か?
 さらに樋口は、それから一年以上たち、この女性と同一人物と見られるプロフィールを発見して、彼女が「ずいぶん長く活動している」と知らされ、「美人のプライドのためだろうか、彼女は筋金入りの決められない人だった」と書いている。樋口がこの女性と話したのは、パーティの時だけである。
 いや、これも樋口お得意のジョークなのかもしれない。しかし、そうは思えないものがある。美人だというだけで、それがサクラであるという事実を受け入れられないとしたら、それはかなりまずい。
 以下「デビルマン」風に罵る。
 「おれは、おれは確かに30過ぎまで童貞だったしもてなかったが、もっと女についてよく知ろうと思って、フェミニズムの本をたくさん読んで、ああ今どき、結婚するまで処女でいろなどというのは古臭くて問題にならないのだな、などとさまざまに学んだのだぞ。それを、お前は、お前は、四十過ぎて、性的逸脱とは何ごとだ!」