笙野頼子に内容証明を送って謝罪を要求したのは一ヶ月ほど前のことだ。そしたら回答期限ぎりぎりに速達で返事が来た。しかも三人もの代理人弁護士の名前で。私は個人名で出したのにね。ちなみにその三人は、東京21法律事務所の岡田宰、広津佳子、杉本博哉。「謝罪する必要はない」とか言って、まるっきり見当違いの判例を挙げている。実に弁護士というのは悪辣だ。笑止なのは、私が「民事訴訟も辞しません」と書いたのに対して「司法という権力に訴えようとするのは文芸評論家としての名をおとしめることになる」(大意)とかいう文言。笙野に無断で弁護士連が書いたんじゃないかと思ったよ。だってそれなら小谷真理にもそう言わなきゃならんだろうしね。第一私は日本国民として日本国家による保護を受ける権利があるのだ。なんだよ権力って。
20世紀には、笙野が私に対して行ったような罵詈雑言を活字にする作家も編集者もいなかった。もちろんインターネット上で罵詈雑言を発する匿名人間もいなかった。そんな時代の常識を今ごろ持ち出すな。
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波多野春房といえば、有島武郎の心中相手となった波多野秋子の夫である。当時53歳くらいの実業家と新聞に報じられたのだが、杉森久英『滝田樗陰』(中公新書)を見たら、号を烏峰といい、『日本魂』という雑誌を編集していた、とあり、「波多野烏峰」を調べて仰天。明治から昭和にかけての大アジア主義者にしてイスラーム学者で、著書もたくさんある。ところが、烏峰の本名を「養作」としている論文が二点ある。では杉森の間違いかというに、国会図書館に波多野烏峰(春房)の著作があり、近代デジタルライブラリーで現物が見られ、確かに奥付に「波多野春房」とあり、まえがきに「烏峰」とある。
もし波多野秋子の夫が波多野烏峰であるなら、心中事件当時はまだ42歳である。果して波多野秋子の夫は、チベットへ旅行した軍国主義の著述家・波多野烏峰なのか。仮に烏峰だとすれば、自由思想家・有島武郎を快く思っていないのは当然ながら、妻を中央公論社のような自由主義的な出版社に勤めさせるだろうか。