秋声と波多野春房

 ツイッターで知った徳田秋声研究家の亀井麻美さんに教えられて、徳田秋声の「間」を読んだ。大正15年12月13日から昭和2年1月まで10回にわたって「大阪毎日新聞」に連載されたもので、旧版『秋声全集』第七巻に載っている。「順子もの」の一つだが、順子はここでは後景に退いて、三年前に有島武郎と情死した波多野秋子の夫・波多野春房のその後が、藝者屋のおかみの口から語られる。春房は烏峰の号をもつイスラム研究家だが、秋子の死後、藝者の大隅れい子(当時35)が同情して結婚したと当時報道されたが、春房とれい子の関係は以前からで、だが春房は女にもててれい子が苦労しているから、融(秋声)に、れい子と結婚しないかとおかみが持ちかけるという段取りである。だが調べてみるとれい子はもう死んでいた。という話。