『文芸日女道』532号の巻末に、「芥川龍之介研究の権威」エス・ワイ氏から森本宛の手紙の抜粋が載っていた。そこに「私の名前を出してくださったことは全然かまいません。むしろ感謝しています」とあり、私は首を捻った。なぜならこれは、エス氏の『評伝松岡譲』を、私が「剽窃」したと森本が書いている箇所についてのものだからだ。
 私は『久米正雄伝』で、エス氏を批判もしている。怒るかな、と思ったがそんなことはなく、『週刊読書人』に書評を書いてくれた。会ったことはないが、それ以前から、手紙やはがきのやりとりはあった。
 森本は六月に、エス氏から私の『現代文学論争』を教えられたと言っていた。そこで今回、エス氏に調停を頼んだりしていたのだ。
 だが、今回の件で初めてエス氏に電話した九月十七日、私は森本の最初の攻撃文を見ていなかった。「剽窃」と書いてあると、Fさんから聞いていたので、そう書いてありませんでしたかと訊くと、「いや、さんざん利用して悪口を書いている、というような…」と口を濁した。まあ言いにくいだろうなと思ったのだが、はじめエス氏は、森本の連載をFさんが「ごっそり」私に送った、という話で、と言っていて、その「ごっそり」という口調に、それが悪いことだと思っているかのような風情があって、私が、公刊されたものを見せて何がいけないのか分かりませんと言うと、「そうか、公刊されたものだから…・」と初めて気づいたような口調で、「分かりました」と言い、森本にはメールを出して言っておく、と言っていた。
 ところが、私のブログを見た森本が、24、25日に逆ギレしてメールで言いかえしてきた。その中に「あの文章はエス先生に前もって見てもらって了解を得ている」とあったから、私は驚いてエス氏にメールを送って訊いたが、「雑誌が届いて初めて知った」とあったので、嘘だろうと森本にメールをしたら、なぜかそれ以後、ぱったりメールが来なくなった(のち森本は、嘘だったと白状した。恐ろしい男である)。
 だが、532号の「感謝」の念の表明を見て、「エス氏黒幕説」はよみがえったのである。森本は、エス氏のみならず、別の人からのメールまで、無断で掲載していたのである。まさかエス氏もそんなことをされると思わず手紙を書いたのであろう。
 森本の連載をまとめた著は、勉誠出版から出ると533号に書いてあったから、私は同社に電話をした。この会社は最近変で、『有島武郎事典』でも、私の書いた参考文献を編集部で削ったりしている。それもあってか、編集者はむちゃくちゃ堅い口調だった。私は、単行本にもし「剽窃」の類のことが書かれていたら訴える、と通告した。
 「森本さんは、勉誠出版から出すのは初めてですね。誰か紹介する人が…」
 「ええ、エス先生から…」
 『久米正雄伝』で批判されてコンチクショウと思ったエス先生、しかし表だっては反論できず、森本から、こんなことを書きますが、と言われて、よしやれ、と指示を出した。
 だから25日のメールの後、私の妄想の中では、
 エス「君、あんなことを漏らしちゃ困るじゃないか。誰のおかげで本が出せると思っているんだ」
 森本「す、すみません」
 といった会話が交わされていた。
 さて同時に昼すぎエス氏に、「感謝します」とはどういうことかとメールをした。返事がないので夕方電話したら留守だったので、夜、再度電話した。
 「なぜ剽窃というのを否定なさらなかったのですか」
 「いやーそんなことはね、書けませんよ」
 そして、
 「いやー小谷野さんね、そういう小さいことにこだわらず、仕事が勝負ですよ」
 などと言い、話をそらそうと懸命なエス氏であった。
 「森本氏の本は勉誠出版から出るそうですが」
 「ああ、そう言っていましたね。私は勉誠出版とは関係ありませんが」
 狸、確定である。芥川研究の権威も、つまらん小細工をしたものである。
 それでも私は、四時間ほど考えた。だが、自分の本から、自分が知っている誰かが剽窃をした、と書かれているのに対して、「剽窃ではありません」と一言も言わず、かえって「感謝しています」と書くのは、絶対におかしい。
 そこで寝る前、エス氏には「あなたは恐ろしい人です」と絶縁のメールを送っておいた。朝になったら、言い訳めいたメールが届いていて、「勉誠出版とは関係ない」とあったが、さて勉誠の編集者が、何ゆえそんな手のこんだ嘘を言う必要があるのだろうか。
 「さんざん利用しておいて悪口を書いている」とは、森本は書いていなかった。これはエス氏の本音が思わず出たものであろう。森本がむやみと自信を持っているのも、エス氏の後ろ盾があると思ったからであろう。

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ところで533号に森本が書いた「縫子」関係の戸籍、知り合いの弁護士に頼んで取得したというが、学問研究のための戸籍取得って弁護士特権で認められているのかなあ。不正取得だったらわりあい大変なことになるよ、勉誠出版さん。

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あ、そうそう。森本の連載の最後のほうの一節は「キューポラのある町」と題されている。なるほど、川口市がちらりと出てはくるが、題名にするほどの重要性は持っていない。これはエス氏の著書に、早船ちよの伝記があることから、エス氏に阿ってつけたものであろう。