三ツ野陽介論文について

 『比較文学研究』の最新号が届いたのだが、三ツ野陽介とかいう院生の江藤淳論が載っていて、どれどれと覗いてみたが、何一つ新事実もなければ新解釈もない。従来江藤について言われてきたことをまとめただけで、卒論レベルの代物である。『比較文学研究』は査読雑誌のはずだが、なぜこんなものを載せたのか、ちと編輯部に苦情を言わねばならん。
 江藤淳について新しく調べるに値することといったら、妻の父である関東州局長・三浦直彦のことだなあ。誰かやってくれないかしら。
(付記)三ツ野君とはその後連絡がとれた。ところでこれの注にも、なぜ江藤が「治者」の対極にある西郷を論じたのか疑問だと書いてあって、私も疑問だったのだが、これは編集部に半ば無理やり書かされたものらしい。以後、不毛な議論が繰り返されないよう、いちおう記しておく。
 

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雑誌の発売日というのは、近代文学研究者の悩みの種である。周知の通り、今でも六月号は五月に出るし、それでも発売日は6月1日と嘘が書いてあるから、実際に発売されたのがいつかが問題になる。六月号に載った小説だからといって「六月だな」などと思っていると、五月中にその感想を書いた手紙が行きかっていたり新聞で批評されていたりする。昭和に入ってから段々早くなったようだ。
 さて、中間小説誌というのがある。『オール読物』『小説新潮』などだ。私はこれらの発売日は、前々月の末頃と把握していた。つまり六月号が出るのは四月の20−25日頃である。ところが先日、五月20−25日頃に六月号が出ているのに気づき、いつから変わったのだろうと思って新聞広告で調べてきたら、1988年の末からであった。1988年11月22日の新聞には、『オール読物』新年号、『小説新潮』1月号、『小説現代』1月号の広告が出ている。それが翌月20−24日頃、『小説新潮』の広告に、「月号が変わりました」とあって「新春号」、『小説現代』は「1月増刊新春号」となっていて、『オール読物』は「新春号」、で89年1月には2月号が出ている。つまり1989年には、1月号がそれぞれ二つあったわけ。『小説宝石』もそうらしい。いくら何でも前々月に出るのは早すぎると判断したのだろうが、各誌一斉に、って、「談合」では・・・。
 (小谷野敦