推敲について

 『童貞放浪記』に書き下ろしで入れた「ミゼラブル・ハイスクール1978」を千野帽子さんが「支持」してくださり、これからも小説を書き続けて欲しい、と書いている。ありがたいことである。
 しかし書き下ろしで入れた二編は、要するに載せてくれる雑誌がないから書き下ろしで入れたわけで、実際には素材が生煮えであり、本来はここからいくつもの短編を切り出すか、長編に仕立てることのできるはずのものである。今後の課題としたい。
 それから、やはり書き下ろしということで、迷いが見え、推敲が足りない。自分で読んでいて笑ってしまうくらい足りない。もし、「これで完成型である。オッケーであるから、推敲せよ」と言われたら、もっときちんとやっただろう。まあ躓くのも小説のあり方の一つではあるが、それ以前の問題ともいうべきてにをはのおかしさが目に付く。
 ともあれ、千野さんに感謝である。
(小谷野敦