私小説について

 ニコニコ動画のインタビューでも言ったのだが、日本で私小説というものへの反対論が根強いのは、実際にダメな私小説というのがあったからで、大正後期の『新潮』『中央公論』などに、温泉へ行って藝者をあげたとか、その手の安易な私小説がたくさん載っていたのである。
 それと、戦後もずっと、作家がある程度の地位を得てしまうと、つまらない身辺雑記私小説でも文藝雑誌に載せてしまう、ということがあって、小島信夫などは、その最たるものだったろう。『別れる理由』なんてのも、別に前衛でもメタフィクションでも何でもなく、ただだらしなく書いていただけである。私は小島信夫も、『抱擁家族』以後はまるでダメな作家になったと思っているが、世間では小島の、すっとぼけたような姿勢に勘違いして畏敬の念を抱いていたのである。1982年、文藝賞の選考委員をしていて、桐山襲の「パルチザン伝説」が候補になった時小島は、こういうものをもし受賞させて、右翼からの脅迫電話とかがあったら嫌だ、と選評に書いた。「パルチザン伝説」は、天皇暗殺計画を描いたもので、小説としての出来はちっとも良くないので、そう書けばいいのに、余計なことを書いたものである。

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http://www.kishimoto-fan.com/blog/2011/01/post-44.html
岸本葉子さん。「家で執筆する他に、そういう仕事もたいせつな収入源です(すごく直接的な言い方ですが)」そうか。私は会議なんてものは、阪大を辞めて以来出たことがない。それで収入が足りないのか。
小谷野敦