第二次総合図書館戦争

 谷崎年表の訂正です。明治45年5月30日と翌日、里見紝が出てきますが間違い。あれは泡鳴日記に「山の内」とあったのを里見だと思ったためで、里見は確かに四月に京都へ来ていたが27日に帰っているから里見ではない。吾八こと山内金三郎(神斧)らしい。

 東大総合図書館でパシパシ女を怒鳴りつけた「第一次総合図書館戦争」は三年前の春のことだった(『新編 軟弱者の言い分』参照)。以後、総合図書館は敬遠していたが、近ごろ行き始めるとそうひどくもないので安心していたが、今日行ったら、始めはスプーンおばさんみたいなおばさんがいて、はいはいとコピーさせてくれたのだが、二度目に文献を抱えて戻ってくると、あのパシパシ女がいた。三年前は30くらいに見えたのだが、今日は38くらいに見えた。やはり、自前コピーは止められてしまい、しかし前回のように、一枚95円で一週間かかるなどということはなくて、隣の生協で開いたまま上から撮る器械があって20円でできるという。しかしその分借り出し申込書を書かねばならず、おじさんが案内してその隣の生協へぐるりと回っていく。その後用足しをして戻ると、元のところで支払いをしてきてくれというので、支払って戻る。隣といっても、ぐるりと回っていくから、何か面倒感があって私はイライラしている。そして出てきたのを見ると、『中央公論』型の雑誌の見開きなのにB4版でとってある。
 「あれ、これはA4版じゃないんですか」
 と訊くと、クール顔の50代くらいのおばさんが、A4でとると端が切れるから云々と説明する。それで「国会図書館ではA4でとってますけどねえ」と言うと、「あらそうですか。どうやってるんでしょうね」とまるで人ごとのように言うから、半分切れて「それは国会図書館で訊いてください!」と叫ぶ。あげく、「ご期待に添えなくて申し訳ありませんでした」などと言うから、これ以上いると喧嘩になると思って、逃げるように大学を出た。だいたい、正門のところに「敷地内全面禁煙」などとあるのを見て、既に不快になっているのだ。屋外を禁煙にするなよ。
 しかし、東大本郷には、喫煙者のオアシスがある。キチガイ嫌煙家が押しかけるといけないからどこだか言わない。
 そういえば野谷文昭が東大現代文芸論の教授になっていたが、今年60歳であるから、昔ならありえない人事である。しかも「南欧南欧文学」の研究室があるのに、よそで「ラテンアメリカ文学」の講座があるって、何か変。南欧語と言いつつ実はイタリア語でしかないんだね。

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立教大学院生だった川勝麻里さんから、博士論文を刊行した『明治から昭和における『源氏物語』の受容』(和泉書院)を送ってきてくれた。一万円もする本なのに、ありがたいことである。川勝さんは二、三年前から論文を送ってきてくれていて、城西国際大学で講演をした時に会いに来た人である。舟橋聖一などにも詳しく、立教にも優れた院生がいるんだなあと思ってぱらぱら見ていて、いろいろよく読んでいるなあと感心。あとがきには、親戚の大学教授は昭和天皇にご進講をしたことがあるとか、祖父も大学教授だが、近衛連隊の中尉をしていて旭日中綬章を貰ったとか書いてあって、ほうと思ったが、生年を見てびっくり。1980年生まれである。ということは27である。いや会ったことはあるのだが、次々と論文を書いた上博士号までとっているから、30くらいかと思っていたのだ。これじゃあ、佐×順×なんかメじゃない。いやもちろん、中味のオリジナリティーについてはこれから読まないと確認できないが、そうまずいものではないと思う。
 それに対して、木村朗子『恋する物語のセクシュアリティー』(青土社)は、アマゾンで注文したら、青土社からの寄贈本と同じ日に届いた。主題は面白いのだが、いかにも80年代の臭いが芬々としている。「すべからく」も誤用しているし、たとえば注でドゥルーズを引用しているが、「客観的に見ると、異性間の愛は、同性愛より深くはなく、同性愛においてその真実を見出す。なぜならば、もし愛される女の秘密が、ゴモラの秘密であるというのが本当であれば、愛する男の秘密はソドムの秘密だからである」というのだが、まったく意味不明だし、何が客観的なのかまるで分からん。しかも本文もこの調子で書かれていて、ニューアカの遺物みたいだ。この人は68年生まれ、東大言語情報で博士号をとっているが、あとがきに川本皓嗣への謝辞があるのでびっくり。なんで比較出身でもないのに。しかも川本先生は、こういう文章の論文を認めない人だと思っていたが。
 むしろ近々出る金沢百枝さんの博士論文が期待できそうだ。美人だし、きっと人気が出るぞ。

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『考える人』の「世界の長編小説」アンケートで私はディケンズの『荒涼館』を挙げておいたのだが、ほかに挙げている人が見当たらずショック。『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』なんか挙げている人がいるが、『荒涼館』を読んでそういうものを挙げているのか? 大江健三郎筒井康隆も絶賛しているんだぞ。せめて英国専攻の英文学者には挙げてほしかったなあ、小山太一君とか。と思っていたら、別枠でインタビューを受けているデヴィッド・ロッジが挙げていた。当然ですよ。『荒涼館』を読まずしてディケンズを語る勿れである。

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昨日某図書館で、姜尚中森達也の死刑をめぐる対談を読んだが、どっちが言ったか忘れたが「死刑存置論は感情論になってしまう」とあった。「感情論」とはどのように定義されているのか分からぬが、否定的意味あいで語られていたようだ。しかし「精神的苦痛」というのは法的処罰の原因たりうるのであり、そんなことを言ったら、セクハラとか強制猥褻とかを処罰するのも感情論だということになる。そう言ったら姜は、それは性的自己決定権の侵害だとでも言うのだろうか。では最近言われるパワハラは? 職場の自己決定権の侵害か? 姜という人は、学者としての業績あるのだろうか。博士号もないし、私としてはタレントとしてしか認識しえないね。田嶋陽子みたいなもんだ。まあ「なんとなく、リベラル」なことを言っていたほうが新聞からの原稿依頼も多いんだから、やめるわけないわな。
 (小谷野敦