読売新聞の記事など

 昨日の読売新聞夕刊に私の取材記事が出ていたが、この文章は私の校閲を経ていない。私は「暗く惨めな体験を小説にするのはつらい」とは、積極的には言っていない。記者「つらいでしょう」敦「いや、別に」記者「でもつらいこともあるでしょう」敦「まあ、少しは」みたいな会話で、始めから「つらい」という結論ありきの誘導尋問みたいな取材だったのである。だいたい、暗く惨めな体験を小説にするなどというのは、明治期から日本の私小説ではもちろん、西洋の作家だって折りに触れてやってきたことで、明るく楽しい体験なんか小説にしたって、そりゃ「純文学」にならないだろう、普通。
 それから写真だが、私が喫煙していない。これも、記者氏が撮影場所へ着くやいきなり、「いやあタバコを吸ってる写真は上司が認めてくれないもので」などと言い出し、私はむっとして、それでも取材に応じたのだが、そんなことはわざわざ言わなくてもいいのである。その上、その夜になって、撮った写真が上司からダメだと言われたので取り直させて欲しいと言ってきて、私は新聞の傲慢さに腹をたて、「喫煙している写真がダメだというならお断りする」と返事をしたら、「喫煙していてもいいです」と言うから再度の撮影に応じ、あちらを指差してくださいなどというバカげた注文さえ受けて、それは断ったが、俺は藝能人じゃないのだとムカムカしていたが、要するに騙されたわけである。

そして掲載紙は送ってこない。こんなことを書いたからだろうと思うなかれ。読売はいつも送ってこないのである。

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 荒正人の『漱石研究年表』のようなものはなぜほかの作家にはないのか、と思ったところから、谷崎詳細年表の作成が始まり、谷崎伝に繋がったわけだが、その後、岩波の芥川全集に、芥川のそれらしい年表があるのに気づいて、そう書いておいたのだが、その後ぼちぼち見ていると、当初から、芥川の年表がこんなに簡単でいいのか、という疑問を抱いていたのだが、これが結構杜撰であることに気づいた。たとえば大正14年3月末、芥川の媒酌で佐佐木茂索と大橋房子が結婚、とある。日づけが確定できないのか? と思って『佐佐木茂索随筆集』を見たら巻末の年譜にちゃんと「27日」と書いてあるではないか。この程度のことも調べていないのでは、この年表は使い物にならない。だいたい、一冊の単著もない宮坂覚とかいう人にこんなものをやらせるのが間違いで、芥川なら関口安義だろう。