団藤重光と堀口大學

 昨日の毎日新聞夕刊に団藤重光が出ていた。94歳。依然として死刑廃止論をぶっていたが、相変わらずただの感情論でしかない。鳩山邦夫に対して、僕の『死刑廃止論』を読んでいないんだろう、不勉強なだけで、読めば分かってくれる、などと放言しているが、鳩山だってそれくらい読んでいるだろう。是非とも「読んでいる。単なる感情論で問題にならない」と発言してほしいものだ。では団藤は、私の『なぜ悪人を殺してはいけないのか』や藤井誠二の『殺された側の論理』を読んでいるのか。内容も相変わらず、冤罪や量刑不当の問題と死刑存廃の問題を混同している。三浦俊彦は、では死刑以外の刑なら冤罪でもいいのか、と書いているが、それも団藤は知らないだろう。あげくの果て、日本は未開国なんですよと、西洋諸国が進んでいるという、明治以来の日本人が繰り返してきたヘーゲル的な幼稚な進化史観を振り回すに至っては沙汰の限りだ。しかし94歳の人間に考えを改めさせるのは難しいだろう。ただ許しがたく思ったのは最後の、記者による、死刑廃止論を言わなければ最高裁長官になれたのでは、という問いで、団藤はむろん口を濁しているが、文化勲章まで貰った上に94まで生きている者にこんな問いを発するのが実に不快だった。殺された者たちはこんな死刑廃止論者を許せるだろうか。

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堀口大學の娘の堀口すみれ子の、父を回想する本を読んでいたら、「ノーベル賞はまだ来ぬか/文化勲章音もなし」という一節を含む詩が引用されていて、文化功労者に決まった時の喜びが書かれていた。晩年の大學がむやみと名誉を欲しがったのはよく知られているが、そのこと自体は問わない。だが、それを詩にするなどというのは恥であり、それを世間に広めて喜ぶすみれ子という人の心事が私にはよく分からない。
 島田謹二の娘・齋藤信子は、晩年ボケて「俺は文化功労者で偉いんだぞ」と叫ぶ島田の姿を描いた。老醜として描いたのだ。漱石の博士号辞退について、褒める人あり、けなす人ありだが、大學の場合は、よほどの大學の心酔者でもない限り、醜態としか思えないだろう。

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 毎日新聞夕刊の題字下の短評欄に、「ネット無法地帯」などとあった。ラーメン屋をネットで中傷した者が刑事で無罪になった件だが、阿呆か。ネット上であれ活字であれ、名誉毀損刑事告訴されること自体稀で、だいたいは民事に決まっており、この事件も民事では賠償命令が出ているのだ。紛れもなく読者をミスリードする文章で、刑事と民事の区別もつかない奴が新聞記者をやっているのは困ったものだ。もちろん、民事の判決命令に従わない者を罰する法律がないこと自体、困ったことであり、鳩山法相は発言するだけでなく、法の策定を提議すべきであろう。(そういえば私が裁判を起こした時も、刑事と混同して「一事不再理」などと言っていた奴がいたなあ)
 (小谷野敦