どうした、何を騒ぐ

 宮崎哲弥氏が「週刊文春」で、昨年の殺人事件が戦後最低だったのをなぜマスコミは報道しないかと熱く語っていたが、これは宮下(管賀江留郎)の受け売り。
 受け売りでもいいのだが、いったいではどのように件数が下がって行ったのかということが気になる。毎年下がっているなら、報道する価値もないわけだし。これについて書いている者も、きっちり件数を表示していないから、分からない。殺人認知件数は以下のとおり。

1973年 2048
1974年 1912
1975年 2098
1976年 2111
1977年 2031
1978年 1862
1979年 1853
1980年 1684
1981年 1754
1982年 1764
1983年 1745
1984年 1762
1985年 1780
1986年 1676
1987年 1584
1988年 1441
1989年 1308
1990年 1238
1991年 1215
1992年 1227
1993年 1233
1994年 1279
1995年 1281
1996年 1218
1997年 1282
1998年 1388
1999年 1265
2000年 1391
2001年 1340
2002年 1396
2003年 1452
2004年 1419
2005年 1392
2006年 1309 

 それで2007年が1200を割り込んだと言っているわけだが、91年の最低を越して戦後最低というわけで、しかしその後また増えて、2003年には1400を超えている。なぜ昨年、100件以上も減ったのか、原因は知らないが、では92年には「殺人件数戦後最低」と報道されたのかと思って調べたら、そうじゃなくて「刑法犯が戦後最多」の記事ばかりであった。要するに殺人の認知件数だけじゃ分からないってことですね。だいたい、この数字は「傷害致死」「強盗致死」は入っていない。それらは「傷害」「強盗」に入っているのだ。むろんそれらは法廷で決するものだから、事後的に計算しなければ2007年の殺人・傷害致死・強盗致死数はまだ出ないわけ。殺人そのものだって今年はまた1300を越すかもしれないし、「なぜマスコミは報道しない」って熱くなるほどのことじゃない気がします。

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呉智英さんが佐々木譲と論争をしている。なんか、あまり中味のない論争のような気がするのだが、実は私は最近「校閲」に悩まされている。13年前に二冊目の本を出した時は、事実誤認が多くて、校閲の優秀さに感謝したものだが、最近、どうやら校閲が「外注」に出されることが多いらしく、この外部校閲というのはどうも変で、異常に細かくチェックしたり、著者の考え方も知らないで差別用語を指摘してきたりするので、見ていてむかむかする。そのあとを編集者が消していったものが来るのだが、だいたい読んでいれば私が「差別語狩り」に与しない著者であることくらい分かるだろうに、「シナ」をいちいちチェックするは、「精神病院」まで差別語としてチェックするは、「看護婦」にチェックを入れるやら、ウィキペディアに書いてある嘘情報まで書き込み、果ては「強姦」までチェックを入れている。最近では「姦」の字が不快だからといって「強かん」などとするらしいのだが、アホか。果ては私が「日支戦争」と書いたのにチェックして「わざとだとは思いますが」などと書いてある。思うなら書くなよ。自己の思想を表明したいなら、校閲の仕事などすべきではない。
 それから覚書で書いておくが、たいていの校閲者が「私に改変した」とか「私にルビを振った」の「私に」の漢文的用法が分からずに「私が」に直している。
 それで知ったのだが、これ。
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=52674
 ウィキペディアの転用である。ヘレナ=ボナム・カーターはアスキスの曾孫である。だから曽祖父。しかも、「曽々祖父」なんて言葉はあるのかどうか、一般的には「高祖父」である。曾孫の子は玄孫であって「曾々孫」ではない。間違いが間違いを呼ぶのだ。