豆知識その他

 「一口坂」と書いて「いもあらいざか」と読む。ひとくちざか、と読む人が多いので、最近では「芋洗坂」と書くらしい。
 「新銀町」は「しんしろがねちょう」、「本石町」は「ほんこくちょう」。

勝目梓の自伝的小説『小説家』は、出たのは確か一昨年だったが、昨年読んで感嘆し、これが何かの賞をとらないのはひどいと義憤を感じて、その続編ともいうべき『老醜の記』を読売文学賞に推薦しておいたのだが取らなかった。『新刊ニュース』で昨年のベスト3に挙げておいたが、こんな凄い本の価値が分かるのは俺だけなのかと慨嘆していたら、『週刊新潮』で福田和也が、一昨年度のベストだと書いていて、なんだ、分かる人には分かるのかと思った。

「素人の素朴な疑問」などという。別にそれだけならいいのだが、「…にも耳を傾けよう」と来ると首をかしげる。私は未だかつて、素人の素朴な疑問に虚を突かれたなどということは、少なくとも三十過ぎてからは、ない。留学前、日本では「西洋近代は行き詰まり」と書いても、誰も疑問に思わなかった。しかしカナダでレポートにそう書いたら、教授が「私はそうは思わない」とコメントしてきたので、脳天を直撃された思いがした。この簡単でかつ素朴なコメントが、いかに、学界流行の言い回しに自分が毒されていたか、気づかせてくれたのだが、それはまさに、ノルウェー語でイプセンを読むというこの知識人だからこそ発しえたのであり、私はそこから「新近代主義者」への道を歩み始めたのだ。だが、素人からはこういう「疑問」は出てこない。素人が「素朴な疑問」だと思って発するのは、たいていは受け売りに過ぎず、かつマスコミがお仕着せで作ったものに過ぎない。たとえば、ブリジット・バルドーが、イスラム教徒への差別的な意見を書いたからといって罰金刑に処せられたというニュースに、私は、フランスには言論の自由がないのか、と衝撃を受けたが、素人がそんなことを問題にしたのはおろか、知識人がこれを問題にしたのさえ見たことがない。宮下整は、「自称素人」の知識人である。いくら嫌味でもひねくれていても、あれは教育のない素人や庶民ではない。何が「素人に学術論文を書けと言った」だ。毎日新聞で意見を述べる奴が素人か。