「ヌエ」と呼ばれた新島八重

 中村勘九郎(のち勘三郎)と竹下景子のデュエット「浅野川慕情」のドーナツ盤を入手した。どうやら同題の、小幡欣治作の舞台のものらしい。『勘九郎日記「か」の字』(集英社文庫)の上演年表を見ると、1983年5月中日劇場での上演である。勘九郎28歳、竹下さん29歳か。しかし『悲劇喜劇』2011年5月の小幡年表にはない。

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『ちくま』に斎藤美奈子新島八重のことを書いているが、これが面白い。当たっているところとはずれているところの対照が面白いのだ。
 なぜ新島八重が、これまで福本武久以外の人の関心をひかなかったのか、について、小ネタの合わせ技で偉人になりうる、まあ大した人ではないから、というのはその通りであろう。そして、写真で見るとブスでデブだから、ということを、斎藤が書いていないのも面白い。また、近年の校閲に屈せず「看護婦」としている。もっともこれは歴史上の人物だからかもしれず、筑摩書房だからかもしれない。
 次に、女だてらに銃を持つ「幕末のジャンヌ・ダルク」だったから、戦後の、軍事忌避、ジェンダー規範によって、偉人伝にならなかったのではないかと言うが、これは疑わしい。だって現にジャンヌ・ダルクは戦後の偉人伝に入っているのだから。

「フランスの白ゆり ジャンヌ・ダルク物語」吉田絃二郎 講談社 1950 
「じゃんぬ・だるく」高野正巳 講談社の二年生文庫 1953
ジャンヌ・ダルク」シラー原作 吉田絃二郎 著 講談社世界名作全集 1953 
ジャンヌ・ダルク 国をすくった少女」大木惇夫 日本書房 1955
 などで、
「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」三島安精 小峯書店, 1966.
 なんてのもあるが、これは「鶴姫伝奇」として後藤久美子主演でドラマになった、村上水軍の女傑を描いたもの。あと、八重の物語は「忠君愛国」だから、太平洋戦時下にもてはやされても良かったが、薩長の敵で賊軍だからそうはいかなかった、とある。だがこれも怪しい。
 白虎隊 鈴木善太郎 梁塵社 1942
白虎隊 佐藤民宝 時代社 1944
会津籠城 神崎清 国民社 1945
 といったものもあるし、新選組も戦前から子母沢寛が書いていた。何より、西郷隆盛は賊軍でありながら、銅像まで建っていた。

 徳冨蘆花の『黒い眼と茶色の目』は、岩波文庫にあるが今品切れ、しかしNDLの近デジで見られる。これは蘆花が若いころ同志社に二度入った、その当時を描いた私小説で、新島襄は「飯島先生」として出てくる。「黒い目」は新島の目のことである。だが、その夫人すなわち八重は、ここでははなはだ評判が悪い。
会津から京都に返り咲きした協志社(同志社)社長の夫人は、(略)目尻の下がったてらてらと光る大きな赤い顔と相撲取りのように肥えた体を…創業時代の協志社生徒は(八重を)鵺、鵺と呼んでいた。偉い人の妻に評判の好いのは滅多にない。飯島夫人の評判は学生間には甚だよくなかった。一廉の内助のつもりで迎えた夫人が思いのほかで、飯島先生の結婚は生涯の失望である、と言うことが誰言うとなく伝えられた。夫人がお洒落で、異った浴衣ばかり一夏に二十枚も作ったの、大きな体に滾る血の狂いを抑えかねてのっぺりした養子の前を湯上りの一糸をかけぬ赤裸で通ったのと言うようないかがわしい噂は」
 蘆花はしかし、八重の姪の山本久栄に恋をして、失恋している。八重に恨みでもあったのかもしれないが、今中野好夫の本が手元にないので分からない。