こないだテレビに出た時、藤原帰一先生が、「丸山眞男ってのは父親は丸山鉄幹っていう・・・」と言っていて、「鉄幹?」と思ったんだが、父親の幹治と兄の鉄男がごっちゃになったのか、与謝野鉄幹とごっちゃになったのか。
で、それは赤木智弘の話を私が持ち出したためなのだが、その赤木がこんなことを書いている。
http://www.journalism.jp/t-akagi/2007/12/post_257.html
河野さんを松本サリン事件の犯人に仕立て上げ、彼の人生をめちゃくちゃにした露悪趣味のマスコミと同じだ。
河野義行の人生をマスコミがめちゃめちゃにした? 冗談言ってはいけない。河野の人生をめちゃめちゃにしたのは、そもそもサリンをばらまいたオウム真理教であって、河野が懸命に擁護している奴らだよ。河野の最大の不幸は、妻が今なお病床にあることであって、それは警察やマスコミがやったことではない。オウムがやったことだ。赤木というのは人権真理教徒か?
さて、東京大学情報学環の事務室は、総合図書館の東側にある。昔は新聞研究所があって、私が卒論を書いていた時に、何度か米国の新聞を閲覧に行ったものだ。さて、そこへ行って申し込むと、修士論文の閲覧ができる。これは私が東大非常勤講師だからではなくて、誰でもできる。そこで2006年度修士論文一覧を見せてもらうと、「「バックラッシュ」の機能分析−<ジェンダーフリー問題>の構築をもとに」というのがある。筆者は乙川知紀君である。いやあ既視感のある題名だなあ。
内容は、例のあれを、客観的に分析した、というもの。ところがおや不思議、活字媒体だけではなくて、ネット上のやりとりもふんだんに紹介している論文なのに、あの荻上チキ「ジェンダーフリーとは」への言及がない。小山エミは出てくるが、荻上チキはちっとも登場しないのだ。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060424
「なかったことにしたい人」だって。荻上さーん、乙川知紀って奴が、あなたのことをなかったことにして論文書いていますよー。(ちょっと意地悪だが、意地悪も言いたくなる)
追記:
http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20080114/p1
なるほど、簡明な事実の間違いを指摘したりするのであれば、私もいちいち「実名を名乗れ」などとは言わない。だが、議論が平行線を辿るような場合に、人をとらまえて「ぐだぐだになっている」などと言う以上は、実名を名乗るべきである。
さらに言うが、「河野の人生をめちゃめちゃ」と言うが、では三浦一義はどうかね。三浦もマスコミ相手の訴訟で全部勝っているが、赤木はなぜここで「三浦一義さん」と言わないのか。河野は完全にシロだという印象があるが、三浦は怪しいからか? また河野は信州の公安委員にもなっており、新聞雑誌等で言論を発表しているから、公人であって呼び捨てで構わないのであるが、それを人々が「さん」づけしなければならないと思うのは、河野のあれが、「真犯人」が見つかったことによって完全にシロで、完全に被害者で、犠牲者であるという印象をマスコミが広めたからであり、河野の奇妙なオウム擁護論がちっとも話題にならないという新たなタブーを生み出しているからではないのか。妻を植物人間にしたオウムに対して非難を行わない河野のことを、人はみな、おかしな人だと思っていて、実はオウム信者だったというデマも出回っているくらいだ。