日本のアマゾンレビューの本当の問題

 確かに、日本のアマゾンレビューは特異である。他国では、レビューに対する総投票数のうち肯定的投票のパーセンテージによってレビュアー順位を決めている。もっともこれでは、一つしかレビューしていなくても100%になることがあるから、一定数を超えた人に適用するなどのシステムがあるのだろう。まあ、調べれば分かることだ。がなぜか日本ではそのシステムを使っていない。
 しかし実はそれだけでは問題の真の解決にはならない。なぜなら他国のアマゾンレビューは、実名によるものが多く、中には実名であることを証明したものもあって、それが表示されているからである。また学術書に、学術雑誌に載ってもおかしくないような長文のレビューを書いている大学教授もいる。つまり全然、真剣度が違うのである。
 日本で、実名でアマゾンレビューを書いている人は、今のところ私くらいしかいないが、他があまりに変名が多いのは、日本の特徴である。実名だから信用する、変名だから信用しない、という文化が日本にない、ということである。その辺は、胡散臭い比較文化論に警戒的な私といえど、鈴木淳史の言うことにある程度真実を認めるわけで、そういう文化だから、乙川知紀のような奴が、変名でものを言い人を批判して、実名をさらすな、などと図々しく言えるのである。乙川の研究とかいうものは、よく考えたら、他国との比較という視点がない。というか、宮台から乙川から内藤朝雄まで、なんでああ日本国内だけで議論が完結するのだろう。西洋の理論書は読みますが、他国の実態は知りません、ってのが宮台一派だよな。
 しかし「匿名は日本の伝統文化だ」とか開き直られたらやだな。

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小杉泰の祐弘本の書評は何か中身なかったな。あの本は、祐弘本を前から読んでいると既出の内容が多いんだがな。

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杉並の図書館で私が予約している本を返さない奴がいる。あんまり遅いので聞いたら、1月返却予定だという。葉書を出してもダメ、電話をしても出ないと言う。いったいこれは法的にはどうなるのであろう。窃盗罪とかにはならないのだろうか。