会いたがる人

 どうも世の中には「会って話したい」と言う人がいる。これが、美女が「プライベートでお話したいわ」とかいうのであれば、あるいは親しい編集者が、今度食事でも、とかいうのであればいいが、仕事その他の話で、それも、単行本を書くので初対面で相談するとか、連載をするのでとか、それならいいのだが、そうではなくて、電話で済むところを、「会って話したい」と言い募る人がいて、これはだいたい「脅す」か「泣き落とす」か「情に流す」のどれかが目的である。実際、電話で話して埒の明かないものが、会って解決したためしなどなくて、単にごまかされて禍根を残すだけである。
 それでひとつ、まだ前の妻と結婚していて、大学に再就職するつもりであちこち公募に出していた頃、某大学教授が、人を介して、会いたいと言ってきた。私は、別にその人のことをよくは知らなかったが、あわよくば就職の話でもと思って、某所居酒屋へ出かけたが、別段そういう話でもなく、単に酒の相手をして終った。まあ、一抹の哀しみは残った。
 くれぐれも、大学教授の立場にある人が、単なる興味本位で「会いたい」などとは言わないでほしいと思う。

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李建志『朝鮮近代文学ナショナリズム』に、以下のような記述がある。

ここでは筆者の体験を語ろう。大学院でいわゆる「シイエス」の立場に立つと自称している教員のゼミに参加していた時のことである。文学研究者であるその教員は、他の社会科学系のゼミと合同で飲みに行こうとゼミ生を誘った。韓国留学から帰ったばかりの筆者は、新しい仲間をつくろうとそれに参加した。教員を含めてこの時のメンバーはほとんど初対面だった。宴たけなわとなったころ、「シイエス」の立場をとると「自称」していた大学院生が筆者に向かってこういった。
 「在日朝鮮人に生まれてうらやましいですね。ぼくも朝鮮人に生まれてたら、もっと研究が注目されるのに」
 筆者はいまだかつてこれほどの暴力を知らない。憤然とした筆者を尻目に、その場にいた教員は「それはいっちゃ駄目だよ」と笑っていうにとどまり、その後なんと筆者を完全に無視して会話が進んでいったのだ。

 この「教員」は、言うまでもなく小森陽一である。ただし、李君がこんな目に遭ったのは、彼の所属が比較文学だったせいもあるだろう。

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http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/50b7f0f5f7fe783ca3fea7a5f4a18a9b

事件を依頼したいのに弁護士がいないということなありえない。(ママ)

 最近、暴走気味の瀬々さんだが、これは明らかに認識不足である。現に私は、禁煙ファシズム訴訟で弁護士を探したが見つからなかった。以後も、本人訴訟でやっている。旭川の杉尾正明氏は、国民健康保険料などの徴収に不平等があるとして国を訴えたが、これも、相手にしてくれる弁護士がいなかったという。勝訴の見込みがない、依頼人が一個人で大きな収入が見込めない、社会的にも弁護士会的にも、その弁護をして自分の得にならない、という事例で弁護を引き受ける弁護士がいないなどという事態はいくらでもある。いくら禁煙ファシストの瀬々さんでも、いかなる国民も裁判を受ける権利があることくらい法学者として理解しているだろう。だが、法曹界全体もまた禁煙ファシズムに覆われているから、引き受ける弁護士などいないのだ。こんな世間知らずで、法科大学院の教員などしているのか。もうちょっと弁護士の現状を知ったらどうか。
 司法試験というのは、瀬々さんのように正義感が強い人は、まず受からない。ロボットのように、法律と判例から機械的に結論を出して、一切常識的な正義を介入させないようにすれば、東大卒の頭があれば、むしろ簡単に受かるのである。

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http://spalog.net/dotei/ent_1922.php
渡部伸がこのようなことを書いているので、コメントを残してきたが、何より問題なのは、全国童貞連合のHPに、サクラだらけの出会い系の広告を載せていることで、いったいどういうつもりなのかということで、これに渡部氏はまったく答えていない。差別がどうのと騒ぐ前に、そっちに返答するのが先だろう。
付記:何かごたごた答えているが、あの「無料登録」だのと書いてあるサイトがサクラだらけ、というよりサクラしかいないぼったくりであることは、出会い系を少しやったことがある者なら誰でも分かる。じゃあ渡部伸は、自分でそのサイトを利用しているのかな? 
 冗談じゃないぜ。私は本田透には異論があるが、本田が真剣に書いていることはよく分かる。それに対して『中年童貞』は、贋童貞が、それを飯の種にしようとして書いていることがよく分かる本だったよ。そして扶桑社御用達でブログまで開設して、商売ッ気ぷんぷんだ。アマゾンレビューあたりの若者はいざ知らず、40過ぎた私が、香具師と本気の区別もつかないとでも思ってるのかね。またその過剰に慇懃な口調が、まあ政治家のような、商売人のようなアレでね、童貞の哀しみなどこれっぽっちも伝わってこない。
 (小谷野敦