山田洋次の、藤沢周平原作の三部作(といっても事後的に三部作にしただけだろうが)と言われる「武士の一分」をDVDで観たが、ひどく疑問が残った。毒見役をしている武士が、藩主の食事に入っていた貝の毒がもとで失明するのだが、これで今後の生活をどうするのか、などと親戚が集まって協議し、妻は夫の上司に身を任せて、禄をそのままにしてもらうようにし、夫はそれを知って妻を離縁するが、実はその上司は何もしておらず、藩主の裁定で身分が守られたと知って、盲目の身で果し合いをする。
だが、毒見役をしていて毒にあたって失明した武士の禄を取り上げる家中などというものがあるだろうか。そんなもの、普通に考えたって、仕事の上での事故なのだから、むしろ褒賞があってしかるべしである。どうやら山田洋次は、徳川時代というのはよほどひどい時代だとでも思っているらしい。
確かに、藤沢の原作にも、それに当たる箇所はあるが、描き方が全然違う。「盲目剣谺返し」(『隠し剣 秋風剣』所収)から引く。
「…執政たちの間で、三村家の処置が議論された。屋敷は召し上げ、年二十俵ほどの捨扶持を与えて藩の飼い殺しとすればよかろうと言った者が一人いたが、大方の意見は新之丞にもっと同情的だった。逆に、新之丞は職分を全うして失明した者だから、褒賞をあたえてしかるべしと主張する者もいたし、もっと多かったのは、僅かの減石にとどめて、三村の家はそのままという意見だった。
その議論に裁きをくだしたのは、藩主の右京太夫だった。三村の家はそのまま、新之丞は生涯治療に精出せ、というのが藩主のくだした裁定だった」
映画のほうでは、親戚一同が、当然禄は召し上げとなるところ、などと盛んに言っている。そんなバカなことのあるはずがなかろう。もしそんな処置を藩士に対してとったら、藩の見識を疑われるし、場合によっては幕府から処分されることさえありうる。物語を成立させるために、藤沢は、一人だけ、捨扶持を与えて飼い殺しにせよと主張する者をこしらえた。それを山田は拡大して、何やら殿様の英断によって禄の維持が決まったかのように描いて、バカバカしい時代考証の欠落した映画にしてしまったのだ。
まあ、それを除いても、全体として愚作だったことに代わりはないが。唯一笑えるのは、悪役の坂東三津五郎が、フグを食べて死んだ八代目の孫だということくらいか。
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上野千鶴子『おひとりさまの老後』が売れているというので、書店でみたら15刷なのでたまげた。いったいどこのどういう奴がこれを読んで感心しているのかと思ってアマゾンのレビューを見たら、絶賛している奴が、山本周五郎の『小説 日本婦道記』(直木賞辞退作)も絶賛していたので笑った。『日本婦道記』を絶賛する奴に絶賛されてしまう上野さん、かわいそうすぎる。