それでも匿名批判は卑怯である

 ある場合における匿名批判の意義は認める。自分が勤める企業の内部告発とか、自分の生殺与奪の権を握るような大物への批判とかである。しかし、糸圭秀実渡部直己の、文藝雑誌における匿名批評の重視は、私にはよく分からない。なぜなら、匿名なら何でも書けるかといえば、編集部や編集長というものがいて、そこでストップされることもあるだろうからだ。

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何かガタガタ言っている連中がいるな。私が卑怯だと言っているのは福冨諭、電気通信大学博士課程中退。
 佐々木俊尚とか、匿名を擁護して「フラット革命」だのと言っているのが、IT関連の連中で、匿名で何か言いたいというチンケな連中の欲望を吸い上げて利権にしている連中だからな。その利権に踊らされているのだよ、君たちは。
それで儲けているからあれこれ理屈を捏ねているに決まっているだろう。
 新聞の投書欄は実名が原則だ、と書いたら、だからつまらない投書ばかりなのだ、と言っていた奴がいた。実名だからではない。新聞側が、載せたいものしか載せないからである。
 (小谷野敦