ツァーリ的なもの

 「天皇をなくしても天皇制的なものが」式でいえば、それを如実に体現しているのが、ロシヤの「ツァーリ的なもの」だろう。実際、ツァーリを殺害しても、スターリン以後、共産党書記長などを頂点とする体制は復活したわけだし、今ではプーチンツァーリだ。日本人の「比較文化論」は、往々にして「日本的独自性の神話」に陥る。

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こないだウィキペディア植島啓司の項目を編集して「セクハラで関西大学をクビになったという噂があるが、当人は辞職の理由について説明していない」と書いたら、即座に削除された。客観的事実だと思うんだがなあ。植島ほどに著作のある者が大学を辞めたら、なんか説明があってしかるべきで、それがない以上、噂を信じるしかないだろう。

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ちょうど二十年前だから、舛添先生まだ四十前だったんだなあ。無謀にも政治学の大学院の授業に出て、マンデス=フランス関係の文献講読だったからフランス語の勉強になって良かったけど、「L'etat de grace」というのを、意味が分からないまま「恩寵の帝国」って訳したら、舛添先生が困ったような顔で、フランスでは大統領に就任するとしばらくは国民の支持も高くて、それを「恩寵の状態」と呼ぶんだよね、と教えてくれた。恥ずかしかったけど、全然高圧的とか、人をバカにしたような調子ではなかった。いい人だなあと思ったものだ。
 (小谷野敦