「辞典」と「事典」

 『芥川龍之介新辞典』(関口安義編、翰林書房, 2003)という本がある。私は当初、これを「事典」だと思い、検索して見つけられなかった。なぜ「辞典」なのか。関口安義は、現在芥川研究の第一人者である。そしてそれ以前に、『芥川龍之介事典』を編集刊行している。「辞典」になったのは、芥川をめぐる固有名詞などを五十音順に並べて解説した体裁だからだろうが、それでも私には「辞典」は違和感がある。
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 題名でいえば、各大学の出している紀要で、「国語国文学」とか「文藝論叢」とか、大学名の入っていないもの、あれは何とかならんのか。国文学研究資料館のデータベースで検索しても、出てくるのがこんな題名では、改めてどの大学の紀要か調べる二度手間になる。もう少し地域の特色を出して「熊本国文」とかにしてくれればいいのに、何で頑なに分かりにくい題名で出し続けるのだろう。どうせまた「コクブンガクシャ」の、業界人以外の侵入お断りみたいな心性のあらわれなんだろう。

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 日本における「右翼」の定義は、私の考えでは、必要条件として、天皇崇拝家であること、十分条件として、天皇・皇室崇拝をはっきり言明すること、あるいは、天皇を崇拝しない者を軽蔑したり、日本人ではないと言ったりすること、である。谷崎先生は天皇崇拝家だったが、天皇を崇拝しない永井荷風とも親しくしていたので、右翼とは言えない。
 右翼の定義が曖昧になった、といった言明は、天皇の問題を隠蔽しようとするものだ。この日本で、天皇を崇拝せず、たとえばフランスの右翼のような主張をする者がいるだろうか。
 その右翼にも、筋の通った右翼とそうでない右翼がいる。筋が通っているのは、人権思想、平等思想を否定することである。長谷川三千子八木秀次は、その意味で筋の通った右翼だと思っていたが、所功との鼎談で、天皇や皇太子が側室を持つことを否定し、筋の通らない右翼に堕落した。
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 東京三菱UFJ銀行の記帳専用機はなんでUFJ系の通帳は受け付けないんだ。うつけ。

 (小谷野敦